手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2019-01-01から1年間の記事一覧

長生きといっても

長命は法の宝と言うが 、それは南無阿弥陀仏に遇わせて頂いた人のこと 。御法にあわずして 、長生きしたとて 、それは国のごくつぶしにすぎない 。 【松並松五郎念佛語録 響流選書より】 全くもってその通りですね。 (私が)南無阿弥陀仏のはたらきに気づか…

ごく自然の流れ

「宇宙全体が南無阿弥陀仏なれば 、そんなに念仏せずともよい 。南無阿弥陀仏の中にいる 」とある同行様が言いなさる 。空気の中に居るから呼吸せずともよいと言えば 、死んでしまいます 。空気に吸われて生かされています 。それも 、吸わねば死ぬと思うて 、…

優先順位

「東京行き、東京行き 」と呼ぶ声に応じて 、乗り込めば東京に着く 。この電車はどうして東京へ着くのか 、動くのかと 、その講釈聞かねば 、知れなければ 、乗らぬと言うたら 、私等は何時までかかっても 、東京へは行けぬ 。聞きたければ南無阿弥陀仏南無阿…

私のご飯

お櫃(ひつ)のご飯は 、だれだれのと言う区別はない 。家内中のご飯である 。私の茶わんに入ったご飯は 、私のご飯である 。私の口から現れて下されるお念仏は 、私自身への名指しの呼び声であります 。南無阿弥陀仏 【松並松五郎念佛語録 響流選書より】 …

主語は阿弥陀さま

老人曰く 「私は今度の一大事の後生は間違いない 、お浄土まいりは 」と 。それは 、貴方が思うのなら何にもならぬ 。阿弥陀様が 〈この南無阿弥陀仏であなたの往生は間違いない 〉と信じておられる 。その影があなたの心にとどいて念仏となる 。 「信は願より…

執着心の打破(広い視点で物事をみる)

ウィトゲンシュタインに最も近かった弟子の一人マルカムは、その著『ウィトゲンシュタイン――ある回想』(原文51ページ)において、次のように言っています。 或る日、我々〔ウィトゲンシュタインとマルカム〕が一緒にいたとき、彼は哲学についてハッとする…

信心の利益

ある日、庄松さんが富田村の菊蔵さんとふたり連れだって三本松の勝覚寺さんにお詣りをした。すると庄松さんは本堂にあがるなり、「ああ疲れた疲れた」といって、仏様にお礼もせずに、畳の上に寝ころんだ。それを見た菊蔵さんが「これこれ庄松さん、何という…

信を得てからが始まり

どうも(浄土)真宗には、この「少しずつ成長し続ける」ということが無視されている傾向があります。禅宗でも「悟後(ごご)の修行」とか、「聖胎(しょうたい)の長養(ちょうよう)」というようなことが大事にされているようです。さとってからが本格的な…

いただく

大阪の念仏詩人といわれた榎本栄一さんに、泥んこ私の泥んこの底が浄土の入り口になっていた (『煩悩林』五九頁)という短い詩があります。この「泥んこの底」とは、おそらく自分を取りしきっている煩悩と、それ故にこそ罪業の明け暮れを余儀なくされる自己…

一切の障害物に障害がない世界

この本の中で(土橋秀高)先生は『讃阿弥陀仏偈和讃(さんあみだぶつげわさん)』の「光雲無礙如虚空(こううんむげにょこくう)」という一文を二度にわたって引用されています。それは、 光雲無礙如虚空 一切の有礙にさはりなし 光沢かぶらぬものぞなき 難…

ご恩と念仏

浅原才市さんの五十回忌のときに出版された詩集は、『ご恩うれしや』と命名されていました。才市さんの詩に最も多く出てきて、才市さんを代表する語として、「ご恩うれしや」が取り上げられたのでしょう。この「ご恩うれしや」は、才市さんの詩のなかではい…

ろうそくの灯火

ろうそくといいましても、長いろうそく、短いろうそく、青いろうそく、赤いろうそくと、ろうそくにも色々あります。普通に考えますと、太く長いろうそくは、長持ちしますが、その灯火は、風によってあっさりと消えてしまいます。 人生に置き換えてみますと、…

世間虚仮(セケンコケ)

私の趣味はジョギングです。この時期は、片道約30分の距離(ジョギングで)にある小牧野遺跡まで(自宅〜小牧野遺跡往復)走っています。ジョギングは、体力維持・気分転換だけでなく自分と対話ができる時間でもあります。もっと掘り下げますと、阿弥陀さ…

ことばのはたらき

人間は極めて自尊心が強いから、やはり少々のお世辞がまじっていても、ほめられるとうれしいものなのであろう。また、自ら十分に認めている欠点であっても、第三者からそのことを指摘されると、相手への反感が生じることは間々あることである。 したがって釈…

自己顕示欲

「善いことをする」といいましても、自己顕示欲や名誉欲に動かされてのことですね。無人島で生活していたら、そういった欲も少ないだろうなあ~と思うこの頃です(笑)。雑毒の善しかできない私ですが、善には違いありません。この世で生きているうちは、そ…

念仏の主体性

上山: 「如来にまかせる」ということと、「自分(わが心)にまかせる」ことの違いを、もう少し詳しくおっしゃってくださいませんか。 梯: 「自分にまかせる」ということは、自己中心的な想念に振り回されて、愛憎の煩悩の命ずるがままに振る舞うことです。…

無碍の一道

「無碍の一道」とは、まさに「転悪成善の益」と同じ内容であるといってもよいでしょう。昔の歌に、 生花(いけばな)のこの世の水につけられて、花は咲けどもみのらざりけり と詠まれたものがあります。同じ梅の花でも根を切られた生花と地に植わった花とで…

「おめでとう!」と見送られる人生

(梯 實圓)和上は、昨年末より体調を崩され、入院しておられましたが、いよいよ臨終が近いことを御家族も覚悟された時のことだったそうです。奥様が、和上に「お父ちゃん、五十六年間、ほんまにありがとう。ほんまに楽しかったね。」とお声をかけると、和上…

「刺激を受けた マジック談議」(地元紙 投稿掲載) ※番外編

このブログ名を手品師としたのは、私の趣味がマジックというところからです。私のテーマは、いかに言葉で物事を簡潔にわかりやすく伝えるか、です。南無阿弥陀仏のことだけでなく日常生活の出来事においても同様です。日々、意識するようにしています。 今回…

信心を勧める人

浄土に往生して仏となった人は、浄土でただ安逸(あんいつ)をむさぼっているのではないのです。阿弥陀如来と同じ覚りを得た者は、その瞬間から阿弥陀如来の大慈悲のはたらきに専念することになります。かつての子や、あるいは父母のいるこの世にふたたび還…

浄土真宗の信心(金剛の信心)

親鸞聖人は『唯心鈔文意(ゆいしんしょうもんい)』のなかで、 この信楽(しんぎょう)をうるときかならず摂取して捨てたまはざれば、すなはち正定聚(しょうじょうじゅ)の位に定まるなり。このゆゑに信心やぶれず、かたぶかず、みだれぬこと金剛のごとくな…

浄土真宗の信心

浄土真宗の信心と他の宗教のそれを区別して、浄土真宗では信心であって信仰ではないという人がいます。しかし、信仰という語と区別すれば、信心が明らかになるというものでもありません。現に、神信心とか「鰯(いわし)の頭も信心から」というような使い方…

信心の違い

いずれの宗教においても、信心を語らないものはありません。なかでも浄土真宗は信心中心の宗教で、他の宗教でいう信心とは、その信心の性格が著しく異なっています。一般には、お不動産を信心してお百度を踏んだというように、信心はお百度を踏むための前提…

聴聞

親鸞聖人は『教行信証』のなかで、『大無量寿経』の異訳である『平等覚経』のことばを引用して「楽(この)んで世尊の教を聴聞せん」(「行巻」)と示されてきますが、その「聴聞」の語句に「ゆるされてきく、信じてきく」の左訓を付しておられます。 本来、…

浄土真宗の信心

たしかに、どのような宗教でも信を語ります。学問が疑いをその出発点とするに反して、宗教は信の可否が問題になるのです。ところが親鸞聖人が、 「信心」といふは、すなはち本願力回向(ほんがんりきえこう)の信心なり。 (『教行信証』「信巻」『註釈版聖…

対話(読書を通じて)

思考が自己との対話であるように、読書は著書との対話です。人は一人で生きているわけではありません。外に出かけないで家にこもって仕事をしていると、一日中、誰とも一言も言葉を交わさないということはあります。 たとえ誰とも話さなくても、本を読めば著…

たしかなよろこび

いま、南無阿弥陀仏の六字の名号は、阿弥陀如来が、無限の智慧と慈悲をそなえて、真実の世界から「仏の願いに目覚めよ」とあらわされたもうた仏の喚び声であり、それは、 究竟(くきょう)して聞(きこ)ゆるところなくは、誓ひて正覚を成らじ。 (「重誓偈…

私の考えはちょっと横に置いときまして

『教行信証』「総序」に「聞思(もんし)して遅慮(ちりょ)することなかれ」という言葉があります。私が思ったら思っただけ間違うぞ、だからお前の考えを横に置いておけということです。人間の考えを捨てる訳にはいかないから、ちょっと横に置いておけ。教…

阿弥陀さまのはたらき(浄土真宗の信心)

仏さまは私が納得しようがしまいが、「われにまかせよ。必ず救う」とはたらきかけられます。今の私ではだめで、いつか信心を得た私に成るのを待っておられる訳ではありません。「たった今、ここで、必ず救う」とはたらきかけておられるのです。その仏さまの…

願行具足の南無阿弥陀仏

切りたての 髪をみて 少し驚くあなた 柔らかな5月の風が 耳元 くすぐる 突然の再会は 過ぎてゆく流れさえ巻き戻す様に あなたを近くに感じた 「もう戻れない…」と つぶやく横顔見れずに 波のような おしよせる涙があふれた あの日 いつの日か別々の道を選ぶ…