手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2012-11-01から1ヶ月間の記事一覧

自ら難しくしている

※原文 【五七】律宗の用欽のいはく、 「法の難を説くなかに、まことにこの法をもって凡を転じ聖となすこと、なほし掌(たなごころ)を反(かえ)すがごとくなるや。大(おお)きにこれ易かるべきがゆゑに、おほよそ浅き衆生は多く疑惑を生ぜん。すなはち『大…

武勇伝〜 武勇伝〜 

いま

人の武勇伝を聞かされることほど退屈なことはありません。 過去の栄光にすがっていてもなんの進歩もありません。 人生、「いま」が大事です。 阿弥陀さまの願いは、このいま、届けられています。 このいま、南無阿弥陀仏を聞かせて頂きたいものです。

因幡の源左

後年、源左は 棚田この にこのように語っております。突如としておそいかかってくる死のおそろしさ、そして死んだら一体どうなっていくのだろうかという、まるで闇のなかをのぞくような不安が、ひたひたと心に迫ってきたのです。父親は「親をさがせ、親にす…

ふと、思ったこと

目的という言葉(1) 他力の救いに、目的という言葉は馴染みません。 目的という言葉がでた時点で、それは自力です。 浄土真宗ではありません。 目的という言葉(2) 南無阿弥陀仏と私の間に距離はありません。 目的という言葉がでた時点で、阿弥陀さまは…

水を得た魚 (イメージ)

言葉が語る

なにかを生みだすためには、言葉がいる。岸辺はふと、はるか昔に地球上を覆っていたという、生命が誕生するまえの海を想像した。 混沌とし、ただ蠢(うごめ)くばかりだった濃厚な液体を。ひとのなかにも、同じような海がある。そこに言葉という落雷があって…

繋ぐ (イメージ)

南無阿弥陀仏が証拠

阿弥陀さまは南無阿弥陀仏を拵え、言葉となって、わたしにお知らせくださいました。 それに呼応して、わたしは、南無阿弥陀仏とお念仏を称えさせて頂くだけです。 南無阿弥陀仏は、阿弥陀さまとわたしを繋ぐ証拠であります。

銀河鉄道999

となえる念仏によって

同じお念仏ですが、「称える」と「唱える」とでは大違いです。 この世は、乗換駅(分岐点)です。 浄土に参るか、はたまた迷いの世界に逆戻りか、となえる念仏によって行先は全く違います。 さて、皆さんはどちら行きにご乗車でしょうか?

清涼 (イメージ)

心の清涼剤

『なんまんだぶ』をいうことができたら、信心です。 たった一人ぼっちになったときに、誰もいないときに、 『なんまんだぶ』が(私の口から)でたら、それは仏さんに助けられた人です。 【第24回中原寺文化講演会(2012.10.20) 大峯 顕 師より】 大峯師の講…

いのち

【クリック↓】 http://d.hatena.ne.jp/tarou310/20111030#1319983505 なぜ、命は尊いのか?(大峯 顕 師) ※いのち (ウルトラセブン編)

仏のいのちと私のいのち

私の命は私の所有物ではありません。大事にしなければなりません。自分のものだから大事にするのではありません。道元禅師は『この生死は、(すなわち)仏の御いのちなり』と仰いました。仏さまの命を頂いて生きている、私の身体も心も全部生かしているのは…

○ ○ ○ う たかもり

西郷 隆盛(さいごう たかもり) 旧字体:西觶輶盛 文政10年12月7日(1828年1月23日) - 明治10年(1877年9月24日)日本の武士(薩摩藩士)、軍人、政治家。薩摩藩の盟友、大久保利通や長州藩の木戸孝允(桂小五郎)と並び、「維新の三傑」と称される。維新の…

現在進行形

「最後には南無阿弥陀仏があるじゃないか!」 という思いがあるかもしれませんが、それは大きな間違いです。 このいまも南無阿弥陀仏、この先も南無阿弥陀仏なのです。