お櫃(ひつ)のご飯は 、だれだれのと言う区別はない 。家内中のご飯である 。私の茶わんに入ったご飯は 、私のご飯である 。私の口から現れて下されるお念仏は 、私自身への名指しの呼び声であります 。南無阿弥陀仏
【松並松五郎念佛語録 響流選書より】
ご飯🍚は、ご飯🍚。私のご飯🍚となるかならないか、私の茶わんに入るか入らないか、ということです。当たり前といえば当たり前ですが。
では、ご飯🍚を「南無阿弥陀仏」に置き換えてみますといかがでしょうか?
お櫃(ひつ)のご飯は 、だれだれのと言う区別はない 。家内中のご飯である 。私の茶わんに入ったご飯は 、私のご飯である 。私の口から現れて下されるお念仏は 、私自身への名指しの呼び声であります 。南無阿弥陀仏
【松並松五郎念佛語録 響流選書より】
ご飯🍚は、ご飯🍚。私のご飯🍚となるかならないか、私の茶わんに入るか入らないか、ということです。当たり前といえば当たり前ですが。
では、ご飯🍚を「南無阿弥陀仏」に置き換えてみますといかがでしょうか?