手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

距離感

人それぞれに距離感というものがあろうかと思います。自分のテリトリー、いうならば、縄張りということです。自分の縄張りに踏み込まれますとストレスを感じます。人との繋がりも距離感を意識して生活しているのではないでしょうか。家族との繋がりをはじめ…

長生きといっても

長命は法の宝と言うが 、それは南無阿弥陀仏に遇わせて頂いた人のこと 。御法にあわずして 、長生きしたとて 、それは国のごくつぶしにすぎない 。 【松並松五郎念佛語録 響流選書より】 全くもってその通りですね。 (私が)南無阿弥陀仏のはたらきに気づか…

ごく自然の流れ

「宇宙全体が南無阿弥陀仏なれば 、そんなに念仏せずともよい 。南無阿弥陀仏の中にいる 」とある同行様が言いなさる 。空気の中に居るから呼吸せずともよいと言えば 、死んでしまいます 。空気に吸われて生かされています 。それも 、吸わねば死ぬと思うて 、…

優先順位

「東京行き、東京行き 」と呼ぶ声に応じて 、乗り込めば東京に着く 。この電車はどうして東京へ着くのか 、動くのかと 、その講釈聞かねば 、知れなければ 、乗らぬと言うたら 、私等は何時までかかっても 、東京へは行けぬ 。聞きたければ南無阿弥陀仏南無阿…

私のご飯

お櫃(ひつ)のご飯は 、だれだれのと言う区別はない 。家内中のご飯である 。私の茶わんに入ったご飯は 、私のご飯である 。私の口から現れて下されるお念仏は 、私自身への名指しの呼び声であります 。南無阿弥陀仏 【松並松五郎念佛語録 響流選書より】 …

主語は阿弥陀さま

老人曰く 「私は今度の一大事の後生は間違いない 、お浄土まいりは 」と 。それは 、貴方が思うのなら何にもならぬ 。阿弥陀様が 〈この南無阿弥陀仏であなたの往生は間違いない 〉と信じておられる 。その影があなたの心にとどいて念仏となる 。 「信は願より…

執着心の打破(広い視点で物事をみる)

ウィトゲンシュタインに最も近かった弟子の一人マルカムは、その著『ウィトゲンシュタイン――ある回想』(原文51ページ)において、次のように言っています。 或る日、我々〔ウィトゲンシュタインとマルカム〕が一緒にいたとき、彼は哲学についてハッとする…

信心の利益

ある日、庄松さんが富田村の菊蔵さんとふたり連れだって三本松の勝覚寺さんにお詣りをした。すると庄松さんは本堂にあがるなり、「ああ疲れた疲れた」といって、仏様にお礼もせずに、畳の上に寝ころんだ。それを見た菊蔵さんが「これこれ庄松さん、何という…

信を得てからが始まり

どうも(浄土)真宗には、この「少しずつ成長し続ける」ということが無視されている傾向があります。禅宗でも「悟後(ごご)の修行」とか、「聖胎(しょうたい)の長養(ちょうよう)」というようなことが大事にされているようです。さとってからが本格的な…

いただく

大阪の念仏詩人といわれた榎本栄一さんに、泥んこ私の泥んこの底が浄土の入り口になっていた (『煩悩林』五九頁)という短い詩があります。この「泥んこの底」とは、おそらく自分を取りしきっている煩悩と、それ故にこそ罪業の明け暮れを余儀なくされる自己…

一切の障害物に障害がない世界

この本の中で(土橋秀高)先生は『讃阿弥陀仏偈和讃(さんあみだぶつげわさん)』の「光雲無礙如虚空(こううんむげにょこくう)」という一文を二度にわたって引用されています。それは、 光雲無礙如虚空 一切の有礙にさはりなし 光沢かぶらぬものぞなき 難…

ご恩と念仏

浅原才市さんの五十回忌のときに出版された詩集は、『ご恩うれしや』と命名されていました。才市さんの詩に最も多く出てきて、才市さんを代表する語として、「ご恩うれしや」が取り上げられたのでしょう。この「ご恩うれしや」は、才市さんの詩のなかではい…

ろうそくの灯火

ろうそくといいましても、長いろうそく、短いろうそく、青いろうそく、赤いろうそくと、ろうそくにも色々あります。普通に考えますと、太く長いろうそくは、長持ちしますが、その灯火は、風によってあっさりと消えてしまいます。 人生に置き換えてみますと、…

世間虚仮(セケンコケ)

私の趣味はジョギングです。この時期は、片道約30分の距離(ジョギングで)にある小牧野遺跡まで(自宅〜小牧野遺跡往復)走っています。ジョギングは、体力維持・気分転換だけでなく自分と対話ができる時間でもあります。もっと掘り下げますと、阿弥陀さ…