手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧

憶念の心つねにして

私が、南無阿弥陀仏を忘れていようがいまいが、そんなことは全く関係なく 阿弥陀さまは、このいまも「救われてくださいよ!」「浄土に生まれてくださいよ!」 と絶えず、はたらきかけてくだされているのですね。 ありがたいことです。

おまかせ

南無阿弥陀仏に自分の思惑や計らいを擦り込んで、「どうか助けてください!」と、阿弥陀さまに差し向けるのではありません。申し訳ないことに、阿弥陀さまと対峙してしまっています。 すでに、阿弥陀さまは南無阿弥陀仏をご用意されておられます。 ですので…

御恩報謝のお念仏

すでに、南無阿弥陀仏を仕上げられて、願われているので、私は御恩報謝のお念仏を称えさて頂けるのです。

築地本願寺 (H23.5.28 撮影)

昨日、久しぶりに築地本願寺にお参りさせて頂きました。 短時間ですが、聴聞(常例布教:高橋純明 師)させて頂きました。

念仏の本当の主人公は阿弥陀さま

私を助ける道として阿弥陀如来さまが選び定め、恵み与えてくださったからこそ、 いま、私の口からお念仏がでて下さるのでございます。 ですから、私をして念仏せしめている方がいるのです。念仏の本当の主人公は阿弥陀さまでございます。 私が念仏していると…

教祖さまのホラ吹き (ハーメルンの笛吹き を参考)

ある日、教祖さまが、「阿弥陀さまに救われたい!」と願っている人々の前にやってきて、こんなことをいいました。 教祖:「阿弥陀仏に救われたいならば、このわたしのいうことを100%聞きなさい。そうすれば、間違いなく、助かります!そのかわり代金として、…

ハーメルンの笛吹き男

阿弥陀さまは何処へ

阿弥陀さまのお救いを、なにか神秘体験があるように思うのは間違いです。 例えば、一旦、真っ逆さまに地獄の底に落ち切って、そこでピカッと何か光が差し込んで初めて救われるとか。 あるいは、「そのまま助ける!」といった声がきこえるとか。 そんなのは、…

錯覚 (アヒル Or ウサギ)

一念覚知

阿弥陀さまのお救いについて「私は何時何分何秒に救われた!」と蜂にでも刺されたかのようにハッキリと感知できるものではないと思います。 阿弥陀さまのお救いを、このように「素手で火箸をつかむかのようにハッキリ分かるものだよ!」という人は、一念覚知…

ふと気付いたら、南無阿弥陀仏につつまれていた

職業といっても、いろいろな業種があります。 どの業種においても、目標数字というものがあります。 目標数字を達成した者は、その年の昇給、ボーナスに反映されます。 だから、営業マンは、計画数字を達成するために、いろいろな工夫をして努力するわけです…

サラリーマンはつらいよ (苦笑)

男はつらいよ より

いま、ここで、私が

いつ、どこで、どうした、などということは、その人自身にとっては動かしようのないことですが、道を求める者にとっては本当はどうでもよいことです。 大切なことは、いま、ここで、私が念仏の教えに遇って信順するかどうかということです。 【念仏の信心 ― …

はっと自分に気付く

群衆の中で誰かに呼びかけられて、はっと自分に気付くように、 生死の大海に溺れている私は、如来さまに呼びかけられて、はっと我にかえり、帰すべきところ、帰るところを知るのです。 そのことによって、私たちははじめて自分の生きている意味を見いだすこ…

はっとしてグー

断念の境地

現代人は実際的・感覚的で、たとえ現実には経験できないことでも、あくまでも実証的にとらえようとします。そのために数多くの事実を集めて納得しようとするのです。 しかし、そんなことは所詮無意味だということがわかったとき、そこではじめて断念すべきこ…

当たり前すぎると

いま、春の日差しを浴びている人が 「わたしは、いま、春の日差しを浴びていると思います。」とは言いません。 現に、春の日差しを浴びているのですから、思う必要は全くありません。 いま、春の日差しを浴びている人が 「わたしは、いま、春の日差しを浴び…

聞こえたまま

守るものがない というのは非常に楽ですね 心配する必要もなく 何かにすがる必要もなく ただただおまかせの日暮 こんなありがたいことはありません

「なむあみだぶつ」の声となって

昨年の夏、肝試しで、ある児童が、怖さのあまり なむあみだぶつ なむあみだぶつ と言いながら、各お化けスポットをまわっていたのをふと思い出しました。 お化け役の私は、ありがたいなぁ〜と思いながら待機していました。 南無阿弥陀仏は、決して魔除けや、…

この私になにか妖怪?!

ゲゲゲの鬼太郎より