上山:
「如来にまかせる」ということと、「自分(わが心)にまかせる」ことの違いを、もう少し詳しくおっしゃってくださいませんか。
梯:
「自分にまかせる」ということは、自己中心的な想念に振り回されて、愛憎の煩悩の命ずるがままに振る舞うことです。要するに自分に振り回され、自分の気まま勝手を許容していることです。では、何を師とし何を主として生きるのかと言えば、阿弥陀仏を心の主と仰ぎ、大悲である智慧の言葉を師と仰いで生きるのです。それが「阿弥陀仏にまかせて生きる」ということです。
釈尊も、「自分を師としてはならない。法によって自分の師となりなさい」(自灯明・法灯明)と言われています。「自分の師となれ」と言われた自分とは、正しい法を受け容れ、法によって良くコントロールされている自分のことです。それは「法にまかせている」自分であって、その自分が法に背いて気ままな生き方をしようとする自分を厳しく指導するから、「自分の師となる」わけです。真宗ではそれを、「阿弥陀さまにおまかせし、何かについて阿弥陀さまと相談しながら生かさせていただく」というのです。
【平等への視座 梯 實圓 上山 大峻 本願寺出版社 P70より】
阿弥陀さまと相談しながら生きていける人生はこの上ない幸せです。生きてよし死んでよしの人生といえます。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏