手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2018-10-01から1ヶ月間の記事一覧

浄土があるかないか、論じる必要性ってありますか?

一億円の宝くじが当たったことは、当選番号が証明するでしょう。当選番号が発表されてから、当たるだろうか、当たらないだろうか心配する人がいるでしょうか。でも、お金がもらえるのは券と交換してからです。浄土の証明は、名号以外に何がありますか。 ある…

最高の贈りモノ

(下記引用させて頂きます) 今年の夏から9月にかけては、猛暑続きの中、6個もの大型台風や北海道では巨大地震等にも見舞われ、日本のあちこちで甚大な被害を被りました。まだまだ完全な復興に至っていない所も多く、「災害大国日本」と呼ばれ始めているほど…

私は不死身?(続編)

しかしながら、阿弥陀さまと共に歩んでいる私は不死身なのです。

私は不死身?

朝刊のお悔やみ欄に名前が載らない日はありません。死ぬことを他人事でしか捉えられない第3者の私がいます。私は死なない、不死身の人間なんだと・・・。

ただ感謝

面白いもので、人生折り返し地点を過ぎますと、未来のことより、過去の楽しかったことを振り返る時間が多くなっているようです(笑)。私の人生に悔いはありません。阿弥陀さまと共に歩む人生にただ感謝。

大安心

このいま・ここで・私が生きている原動力は南無阿弥陀仏です。南無阿弥陀仏あっての私であり、南無阿弥陀仏がない人生は虚しさしかありません。 南無阿弥陀仏が根底に末通った生活には大安心があります。ですので、いつ死んでも後悔はありません。南無阿弥陀…

自力のひと

南無阿弥陀仏を盾にしている方は、南無阿弥陀仏と同化していない人です。換言しますと、南無阿弥陀仏のはたらきに気付かせられていない自力の人といえましょう。

自称念仏者

南無阿弥陀仏を盾に、上から目線で話をしている方を拝見しますと、違和感を覚えます。こういう方を自称念仏者というのでしょう。

称名念仏

おかげさまで ありがとう 阿弥陀さまに対する報恩感謝のお念仏です。 私の口から念仏が溢れ出ましたら、しめたものです。換言しますと、理屈なしに南無阿弥陀仏、ということです。 おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

しばらくの縁

「袖振り合うも多生の縁」という諺(ことわざ)があります。知らない人と道でたまたま袖が振り合うちょっとしたことも、前世からの深い因縁である、という意味です。このいま、同じ空間をともに過ごしている不思議な出会いを大切にしたいものです。親や子ど…

自分への問い

我々は生きています。しかし、生きているというところでは問いは出てきません 。死の自覚のない人間には 、一人ということは出てこないんです。フランスのブレ ーズ ・パスカル (1623−1662 )が 『パンセ 』のちょうど真ん中あたりに、「人間は考える葦であ…

まずは、本尊対面

早稲田大学に五十嵐力氏という『源氏物語 』の専門の学者がおりましたが、あの方が 『源氏物語 』の研究の方法論について、「道作り業 」と書いております 。例えば高速道路を作るのに、まず周囲の地盤などを色々と調べなければいけないでしょう。まず 「ぐ…