手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2015-03-01から1ヶ月間の記事一覧

すでに決着はついている

大峯 だから阿弥陀さまも法蔵菩薩のとき、最初に何をしたかというと、考えたんですね。どうしたら、十方の衆生を救えるかを考えに考えたわけです。五劫の思惟(ごこうのしゆい)、それから永劫(えいごう)の修行です。五劫という無限の時間の思惟が仏さまに…

考えなければ始まらない

「考える」ということを、私たちは正しく行なっているでしょうか。 「自分の頭で考える」とは誰もが言うけれど、それを正しく行なっているでしょうか。 たとえば、私たちは誰も自分の人生を生きていますが、その人生とは何かについて、あなたは正しく考えた…

わたしとは?

わたしは、 一般的には、○○さん!と名前で呼ばれます。 しかし、 病気になれば患者さん、 車の運転をしていれば、ドライバー 走っていれば、ランナー ラジオを視聴していれば、リスナー 教員免許をとって、教壇にたてば先生 医師免許を取得して、患者を診れ…

命はいただきもの

情の世界で「代われるものなら代わってやりたい」と、人間はみなそういう気持ちを 持っています。私もやっぱり子どもを失うと、そう思うでしょう。きっと代わってやりたいと思います。私の命よりも子どもの命のほうが大事、代わってやりたいと思うでしょう。…

仏教は、果において因を自覚していく教え

釈尊はその当時のインドの宗教で常識となっていた輪廻転生説を否定しました。そして、釈尊の業思想の基本は、自覚的な「自業自得」ということです。自らの行った行為の責任は自分で持つということ。何が善やら、何が悪やらわからないけれども、善悪というも…

頷く(うなずく) 〜「南無阿弥陀仏」視点から〜

「頷く」という言葉には、 目には見えない、なにかの力によって、そうさせられる、と捉えることができましょう。 「頷く」の語源は「項(うなじ)を突く」とあります。自分で自分の項(うなじ)を突いて頷くことは普通に考えておかしいです。そういう人は、…

信じる

「信じる」ということは疑っていることの裏返しである、といえます。なぜなら、ハッキリ分かっていれば信じる必要がないからです。「信じる」には、私の都合や期待、希望が込められています。 浄土真宗の教えは、本願力回向の教えといわれます。つまり、阿弥…

わたしの計らいは一切無功

悪人であると気づかされるということは、悪を否定することでありながら、悪から脱却することのできないことに気づかされることであります。悪を悪と知り、したがって悪を犯してはならないと知りながら、しかも悪を犯さずに生きてはいけない、その人間の実相…