手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2016-07-01から1ヶ月間の記事一覧

阿弥陀さまのひとりばたらき

真実の宗教は、絶対者が相対のものを融化(ゆうか)するところにあります。まことの救いは、絶対者の独りばたらきであって、相対者である私共のはからいや、力はすこしもいらないのです。またあってはなりません。絶対の救いは、絶対から相対へはたらきかけ…

「人生の目的」といわれても・・・・・・

浄土真宗は本願力回向の教えといわれます。 方向は、阿弥陀さまから私へであって、私から阿弥陀さまへ(向かう)という教えではありません。 つまり、「人生の目的」というフレーズは、本願力回向の教えに反発していると言わざるを得ません。 「人生の目的」…

阿弥陀さまは、そばに寄り添っておられる

浄土真宗を語る(説く)上で 「人生の目的」とか「救いの道程」というようなフレーズがでた時点でアウト!です。 なぜならば、阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のはたらきは、すでに、ひとりひとりに届いているからです。この今、私たちは、そのはたらきの中で生か…

有り難い(仏法に出遇えていること)

ある時、お釈迦さまは、大地の砂を手にすくい、弟子たちに質問されました。 「この手のひらの砂の数と大地の砂の数は、どちらが多いでしょう」 弟子は答えました。 「もちろん大地の砂の方が多いです」 するとお釈迦さまは、静かにうなずかれて、 「その通り…

念仏者 棟方志功

富山では、大きないただきものを致しました。それは「南無阿弥陀仏」でありました。 衣食住でも、でしたが、それよりもさらに大きないただきものであったのです。 【板極道 棟方志功 P100より】 個人的に、板画家・棟方志功もそうですが、それ以上に念仏…

弥陀のご廻向

今度の往生のことは、如来が私に先だって、どうぞ助けてやりたいと願いをもって、私に向かっていて下さるのです。その御願いに向こうて、どうぞこのようにしてもらいたいと願う筈はない。 わが身の迷いを出る道も知らず、流転(るてん)の苦しみも知らず、迷…

ご 縁  (思い出の旅:山口市)

今回は、いつもの趣旨とは違います。 手品師の人生史上、思い出に残る2頁を過ごしましたので自分自身の振り返りのため投稿します(笑)。 年がばれますが、25年ぶりに山口市に行きました。 大学時代、バドミントン(体育会)を4年間やり遂げた仲間に会うた…

安心(あんじん)

私たちは、申すまでもなく、命終わればお浄土に参らせていただくのですが、そのお浄土参りをさせていただくには、他力の信心を決定せねばなりません。 他力の信心とは、お浄土参りに安心することではなくて、助けねばおかぬとある弥陀のご親切に安心すること…

阿弥陀さまに ただおまかせ

私共の信心は、浄土に望めて起すのではありません。本願に望めて安堵するのです。私共はただ本願に乗托するばかりです。往生は仏の方より、願力の不思議として、決定せしめて下さるのです。たとえば、京都から東京へ行く場合に、東京へ早く行きたいと思うい…