手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2016-05-01から1ヶ月間の記事一覧

浄土真宗の信心

真宗の信心は、お浄土へ参らしていただけるほどの広大なものであるから、しっかり聞いて、まちがいないという決定の信のえられるまで聞くのであるといえば、無茶苦茶になる。 とても広大な信であるから、真剣に聞くのである、たとえ聞いても一遍には出来ない…

阿弥陀さまに ただおまかせ

何事においても土台(基礎)が大事であることはいうまでもありません。 土台(基礎)がしっかりしていない家には安心して住むことはできません。 南無阿弥陀仏という土台の上で生かされていると気付かされた生活には安心があります。 寿命尽きれば浄土参り!…

南無阿弥陀仏のはたらきの中で生かされている

こういうことは清沢満之(きよざわまんし)も言っています。たとえば自分が原稿をすらすら書いているのは、阿弥陀さまが「書け」とおっしゃっているからだ。途中で書けなく止まってしまったら、それは阿弥陀さまが「少し休め」とおっしゃっているからだ。決…

仙突和尚の話

仙突和尚が臨終のときに、お弟子方が遺言を求めた。そうしたら仙突和尚が「死にとうない」と書いたというのです。弟子たちは、遺言が死にとうないでは困るので、もう一度遺言を求めた。すると仙突和尚が、それならばと言ってそのうえに「ほんまに、ほんまに…

発想の転換

『歎異抄』には次のようにあります。 善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。そのゆえは、如来の御こころによしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、あしさをしりた…

自信教人信

「自信教人信」は、「自ら信じ人を教えて信ぜしむ」(『真宗聖典』247頁)と読みます。親鸞聖人の妻であった恵信尼公も書簡の中で「人に教えて・・・」と読み下しておられますが、「教」の字は、本来漢文では助辞として「〜をして・・・せしむ」と読み下…

浄土真宗は 「信じる教え」 or 「聞く教え」

浄土真宗は、「信じなさい」という教えではないのです。「聞きなさい」という教えです。だいたい、「信じてます」というのは、「疑っている」のです。疑いや、不安が起こってくると、私たちは「信じてます」と言うのです。本当に信じている者は、「信じてま…