手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2016-03-01から1ヶ月間の記事一覧

仏さまのメッセージをそのまま聞く

聞くという宗教体験だといっても、なにか摩訶不思議な声が空中から聞こえてくるのではありません。具体的には仏さまのメッセージを取り次いで下さる布教使の声をそのまま聞くだけです。あるいは仏さまのメッセージを取り次いで下さっている先生の書かれた本…

世界平和に念仏?!

世界平和のために、念仏を唱えましょう!というようなことがいわれていますが、 強い違和感を覚えます。 念仏と世界平和がどう関係するのでしょうか? 宗教とは本来、 個々の生死問題の解決を説く教えであるはず。 世界平和を祈ることは尊いことですが、そこ…

浄土真宗でいう信心

『歎異抄』の後序では、第一に信心の同異ということが、問題として挙げられている。 信心が違うとは、いったいどういうことであろうか。我われが信心というと、念仏を信ずるのも、キリスト教を信ずるのも、鰯の頭を信ずるのも、皆同じであると考えがちである…

いのちはなぜ「尊い」のか

よく「いのちの尊さ」という言葉を耳にしますが、この言葉は別に仏教徒あるいは真宗者だけが使っている言葉ではありません。多くの無宗教の人々からも圧倒的に共感されて使われている言葉です。では、「いのちの尊さ」という言葉は、仏教徒と無宗教の人々と…

「助ける」念仏 「助かる」信心 

『歎異抄』をみますと、第一章に、 弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。 信心を要(かなめ)と、こうおっしゃてる。念仏はもとだけど、念仏が念仏になる要は信心だ。これは非常に大事だ。 (中略) 例えば扇でも要がな…