手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧

お念仏のおこころ

お念仏をよろこぶとか、お念仏を大切にするとか申していますが、そのお念仏とはいかなることなのでしょうか。またさらに率直に言えば、お念仏称えたら救われるとはどういうことなのでしょうか。またさらに率直に言えば、お念仏称えたら救われるとはどういう…

阿弥陀さまにおまかせ

「如来が正覚をとっていて下されます」のご一言。このご一言は、もとはお釈迦さまの仰せ下されたご一言であります。 この正覚(名号、親心)は、私の往生の全体と分からしていただくのであります。 私の気にかかるのは、お助けに本当にふれることです。何だ…

還相回向のはたらき

南無阿弥陀仏の回向の 恩徳広大不思議にて 往相回向の利益には 還相回向に回入せり 『正像末和讃』 【現代語訳】 阿弥陀如来から回向(えこう)された名号(みょうごう)、南無阿弥陀仏のご恩は広大で想いや言葉に尽くせない不思議であり、私が浄土に往生し…

「確信する」という表現

浄土真宗の信心を語る上で、「確信する」という表現に違和感を覚えます。どうしても、自力的な表現に聞こえてしまうからです。国語辞典によりますと、「確信する」とは、固く信じて疑わないこと、固い信念、とあります。自分中心の要素がプンプンします(笑…

仏さまから私に向けられた「はたらき」

「南無阿弥陀仏」は私たちが普段よく口にする言葉ではありますが、実は、阿弥陀さまからの「喚び声」なのです。阿弥陀さまという仏さまが、私たちに向かってきて、じかにはたらきかけてくださっている、そうした方向性を持った「はたらき」なのです。「南無…

普遍的な真理

この世の真理は、お釈迦さまがつくられたものではありません。つまりお釈迦さまが気づかれたとしても、気づかれなかったとしても、この世の真理は存在するものです。ですから民族や国境を超え、時代や場所で変わらない普遍的な真理、それが仏法であるとお釈…

聞法とは

聞法(聴聞)とは、なぜ阿弥陀如来が私たちを救おうとして願い(本願)を起こされたのかをたずね、阿弥陀如来が現にいま私たちを救おうとはたらきつづけていることを受け入れていくということです。 親鸞聖人は「聞」そのままが「信心」であると説かれていま…

救いの瞬間

ただ信仰というものは、確かに自分ではっきり自覚し、「この瞬間に自分は回心を得たんだ」とわかるものもあるでしょうが、一方でいろんなご縁の中で徐々に信仰の道に入り、入信の時はわからないが、気づいたら深く信心していた、という状況もあるわけです。 …