手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

ろうそくの灯火

    ろうそくといいましても、長いろうそく、短いろうそく、青いろうそく、赤いろうそくと、ろうそくにも色々あります。普通に考えますと、太く長いろうそくは、長持ちしますが、その灯火は、風によってあっさりと消えてしまいます。

    人生に置き換えてみますと、太く長いろうそくは赤ん坊、細く短いろうそくは、おじいちゃんやおばあちゃんと喩えてみます。「いま」という時間、つまり、いま生きているという点では平等です。それは、このいま、無常の風(病気や不慮の事故など)が吹けば、ろうそくの大きさ、形や色に関係なく灯火は消えてしまいます。赤ん坊といえども、無常の風が吹けば、その時点で人生は終わります。何が言いたいかと申しますと、「いま」が大事ということです。

    阿弥陀さまの救いは「いま」です。阿弥陀さまと私は「いま」という時間を共有しているといえましょう。それは、私は阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のはたらきの中で生活しているからです。ですので、阿弥陀さまとの距離はありません。むしろ、溶け合っているといったほうがよいのかもしれません。ということは、(私が)阿弥陀さまにおまかせ、(私が)南無阿弥陀仏のはたらきに気づく、ことは決して難しいことではありません。しかしながら、現状、そのことが難しいのは、きっと、自分の力を信じてあれこれ計らったり思い込んだりしているからなのでしょう。つまり、私側の問題といえます。

    といいましても、南無阿弥陀仏のことをあれこれ計らったり思い込んだりすることは、阿弥陀さまのお育てに授かっている証拠ともいえます。普通、そんなことを考えたり思ったりすること自体ありえないことではないでしょうか。阿弥陀さまにおまかせ、南無阿弥陀仏のはたらきに気づくことは時間の問題ですが、いまに越したことはありません。現在、順調な人生を過ごしている人もいつまでその幸せが続くのか分かりません。命には限りがあります。「いま」を大事に生きたい、ものです。

 おかげさまで  今日も  南無阿弥陀仏 

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