手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧

アンテナ

女の子 「でもな、おっちゃん。仏さん見えへんで……。どこに居てるんや?」 小林師 「テレビは電波を受けて映るということは知ってるか?」 女の子 「うん。知ってる。電波が来てるから、アンテナでつかまえて、テレビに映るんやろ」 小林師 「そうやな。電波…

「のる」ではなく、『のせて』

『高僧和讃』に、「弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」と、親鸞聖人がお示しくださってありますように、〝のる〟ではなく、〝のせて〟とご教示くださってあることが、大変有難く思えたことでありました。 私が気づいた時には、すでに「大悲願…

「仏法を聞く」とは

「仏法を聞いてください」という僧侶は少なからずおられます。しかし何をどのように聞けばいいのかよくわかりません。仏法を聞くのにどのように聞くのかという指南はほとんどありません。「どう聞くのかなどという解説が必要なのではなく、とにかく聴聞する…

聞くべき・伝えるべきは「仏願の生起本末」であり「弥陀の本願」

布教使の使命 「お念仏をいただいて生きる」「本願に生かされている」「生かされていることに感謝して生きる」等々の言葉を聞きますが、この言葉がどれだけの人の心を打つでしょうか?この言葉を口にした人たちが、ほんとうにそのように生きようとしている姿…

南無阿弥陀仏のおはたらき

阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土に生まれ仏となり、迷いの世界に還って人々を教化する 【浄土真宗の教章(私の歩む道) 教義 ※浄土真宗 聖典 −勤行集−冒頭より】 短い文ですが、浄土真宗の教え…

お彼岸

仏恩報謝

悲願に依り、彼岸へ 今日もなもあみだぶつ 悲願(ひがん) 仏の大慈悲心より発(おこ)された誓願のこと 彼岸(ひがん) かの岸の意。生死(しょうじ)の迷いを超えたさとりの世界のこと。 迷いの世界である此岸に対する語。 慈悲(じひ) 苦を除き楽を与え…

念仏のみぞまこと

私たちは、善にせよ悪にせよ、これが悪であり、これが善であると断定できるだけの、十分な智慧を所有しているのであろうか。悪と見えることが長い過程のなかで善に転じることもあり得る。その逆に、善であると思っていたことが結局は悪をもたらすだけにとど…

「信心がさだまる」ということ

信心が定まると、本願念仏の教えでは、往生の心配はもはや要らぬこと。往生は阿弥陀仏の仕事であって、私が心配する余地は全くない。たとえ、その間に悪事を犯したとしても、阿弥陀仏の本願を仰げば、阿弥陀仏の力によって、自ずとこころの改まることもある…

本願念仏

本願念仏は「報恩感謝」に尽きるのであろうか。 第十四章にいうように、「この悲願ましまさずば、かかるあさましき罪人、いかでか生死を解脱すべき」と思って、深い謝念を覚えるのはいうまでもない。しかし、念仏は阿弥陀仏が私においてはたらく姿なのである…