手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

「南無阿弥陀仏」の受けとり方の違い

南無阿弥陀仏の六字を、他宗には大善大功徳にてあるあひだ、となへて、この功徳を諸仏 菩薩 諸天にまいらせて、その功徳をわがものがほにするなり。一流にはさなし。この六字の名号、わがものにてありてこそ、となへて仏 菩薩にまいらすべけれ。一念一心に後…

「南無阿弥陀仏」は私への呼びかけ

発願廻向ということについても、ふつうなら願をおこして修行して善根功徳をまわしむけるということですが、その意味を転じて、如来が発願して衆生の浄土往生のための行をまわしむけほどこされるということと解される。 それから善導大師は「阿弥陀仏といふは…

同じ言葉でも捉え方次第でまったく意味が違います

ある会話の中で、「売れてない」というフレーズの意味の取り違いがありました(笑)。 「売れてない」売れずに、まだ、沢山、物が残っている 「売れて、ない」売り切れて、物が全く残っていない おもしろいもので、言い方ひとつで、全く意味が違います。意味…

大丈夫。

昨晩(4/15)のWEB御法話での言葉です。 『南無阿弥陀仏』を「大丈夫。」と表現されました。とても印象的でした。 【法話生配信 第2段! 4/15(水)浄土真宗Liveオンライン生配信 松本智量 師 延立寺住職(東京・八王子)本願寺派より】 『南無阿弥陀仏』と…

聴聞の姿勢

蓮如の子 實悟の記録によると、文明13年(1481)前住職の本願寺第7代存如の25回忌法会の時、山科本願寺において4日間にわたり能を催した。この時、2日目にも演じた狂言「鶯の鳥さし」を蓮如は大いに感心し気に入られ、3日目にもまたこれを所望し…

木を見て森を見ず

「木を見て森を見ず」物事の一部分や細部に気を取られて、全体を見失うこと(故事ことわざ辞典)、という意味です。 浄土真宗の視点でいいますと、「自分(わたし)にばかり固執して、阿弥陀さまをみない」ということでしょうか。日常生活同様、浄土真宗の教…

「後生の一大事」を心にかけて(大峯 顯 師 法話)

真理というのは一瞬で分かる。 あ、そうか(私は阿弥陀さまに)お助けいただくんか。 これだけです。 (大峯 顯 師 法話より) とても心地よい御法話でした。浄土真宗でいう「信心」について、ど直球でお話頂いています。大峯先生のルーツにも興味が湧きまし…