手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2019-07-01から1ヶ月間の記事一覧

仏性未来

仏教には 「仏性未来 」という言葉があり 、親鸞聖人が 『教行信証 』の中に引用しておられます 。その場合の未来というのはなにかといったら 、どこまで行っても未来なのです 。やがて現在になるというものではありません 。どこまで行ったとしても 、それ…

なんでもわかっているつもりの私

無明ということは決してなにもわからないということではありません 。そうではなく 、なんでもわかっているつもりになっている 、なんでもわかったこととしている心です 。仏法とはこういうものだ 、念仏とはこういうものだと 、いつの間にか自分の物差しで…

目印のない荒野

目印のない荒野、そういうところを歩く時だけではない。私たちがこの人生を歩んでいくときに、自分の感覚だけを頼りとして生きていきますと、自分では気のつかないずれを、いつのまにか重ねてしまうのです。そして気がついたら、とんでもないところにきてし…

わたしのお金

わたしの思うように使えるお金を、わたしのお金というのです。たとえ私の背広のポケットに入れていても、預かったお金ならば私のところにあるのだけれども、私のものとはいえないわけです。そうしてみますと、私のいのち、私のいのちといっているけれども、…

名のり

名のりとは「〜を引き受けた」であり、「〜してあげる」ではありません。決して上から目線でない、ということです。同じ目線で一緒に仏道を歩んでいこう、というスタンスが伝わります。その(名のりという)言葉に、阿弥陀さまの「あなたを救う!」という固…

目的地

人はなぜ迷うのか?それは、目的地があるから。 先日の常例布教(築地本願寺)においての言葉でした。「たしかに、なるほど! 」と思いました。以下、私なりに、その解釈を深掘りしてみました。目的地があるから迷う、ということは、目的地がなければ迷わな…

阿弥陀さまの救いと煩悩

念仏もうしそうらえども 、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと 、またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは 、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん 」と 、もうしいれてそうらいしかば 、 「親鸞もこの不審ありつるに 、唯円房おなじこ…

基準のない世界

仏さまの世界には基準(という概念)がない、つまりみな平等な世界といわれます。では、人間の世界はいかがでしょうか?何事にも基準がつきまといます。その基準によって、人の価値や序列が決まる世界ともいえるのではないでしょうか。南無阿弥陀仏のはたら…

お念仏

お念仏は、「自力をはなれたるゆえに 」といわれるように 、念仏もうす人間のがわからの 、何らかの効果をねらってする 「善 」でもなければ 、手柄としての 「行 」でもありません 。 「非行非善 」といわれるように 、念仏は行者のためには 「非なる行であ…