手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧

南無阿弥陀仏のはたらき

人智は有限である、不完全であるといいながら、その有限不完全なる人智をもって、完全なる標準や無限なる実在を研究しようとする迷妄を脱却することは難しいことである。私も以前は、真理の標準や善悪の標準が分からなくては、天地も崩れ、社会も治まらぬ様…

理屈ではない

恋愛は理屈ではない、といわれることがあります。 南無阿弥陀仏のはたらきに気付く、ということにおいても同じようなことがいえます。 阿弥陀さまと恋愛するようなものです。そこには、わたしの理屈はありません。

長いものには巻かれろ

長いものには巻かれろ、という諺(ことわざ)がありますが、 この諺をかりるならば(ちょっとニュアンスは違いますが)、 「阿弥陀さまにまかせろ」、ということです こんなに簡単で楽なことはありません。

タイムリミット???

阿弥陀さまのはたらきに気付かせて頂く、ということにおいてタイムリミットなんかありません。「このいま」しかないのです。自分でタイムリミットを設定したところで、間に合いません。「死の縁は無量なり」心する、べきです。

有意差なし

南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされないで終える人生であるならば、 1年前に死んでも、昨日死んでも、今日死んでも、明日死んでも、10年後に死んでも有意差はありません。再び、迷いの世界に戻るだけです。

わたしのはからい  

わたしの自信や思い、はからいは、 南無阿弥陀仏のはたらきを語る上では何の役にも立ちません。 阿弥陀さまにおまかせあるのみ、です。

一石を投じる 3

南無阿弥陀仏があるから云々、とやたらと念仏(南無阿弥陀仏)を豪語する方がおられますが、「本願ぼこり」ならぬ「念仏ぼこり」のように聞こえてなりません。なにか違和感を覚えます。 本願ぼこり 悪人を救う「阿弥陀仏の本願力」が強いことをほこること 【…

一石を投じる 2

南無阿弥陀仏は阿弥陀さまと私の間で循環しておればよい、と思います。 しかしながら、人と人との間でやたらと南無阿弥陀仏が使われているのであれば、それはお門違いではないでしょうか。確かに、唱える南無阿弥陀仏は尊いですが、自己満足の南無阿弥陀仏は…

一石を投じる 1

「わたしは念仏者である!」と、やたらと自身で強調する方を拝見していますと、果たしてそうなのであろうか?と疑念が湧いてきます。余計なお節介かもしれませんが・・・。

ナンマンダ―

あなたの口から出るナンマンダ―は、阿弥陀さまがあなたの口を通して呼んでくださっている声なのです。ナンマンダ―と声が聞こえる、それに答える声もナンマンダ―です。(光雲な毎日 P221より) まさしく、感応道交!でーす。 おかげさまで 今日も 南無阿弥陀…

大切なこと

「今、死を迎えても大丈夫」と、大安心でいられるか、そのことを喜んでいられるかが、大切なのです。(光雲な毎日 P216より) 「今、あなたは死んでも大丈夫ですか?」と問われましたら、皆さんはどう答えますか?!

大きな底力

阿弥陀さまに出会うと、自己肯定力が高まっていきます。自分がどんな姿であっても受け止めてくださる方がおられる、ということは、私たちの大きな底力となっていきます。(光雲な毎日 P169より) 南無阿弥陀仏の身にならせて頂きますと、(私の)心の根底は…

仏教の教えを聞くということ

仏教の教えを聞くということは、死の解決をする、という言い方もできます。自分の命終わる時、それがたとえ急な事故で終わってしまうとしても、安心していられる。常に阿弥陀さまとともにあり、もし命絶えても、いよいよお浄土に行くことができるという大安…

合言葉

ナモアミダブツは、2人が出会える合言葉!(光雲な毎日 P125より) 「南無阿弥陀仏」は単なる言葉ではありません。「南無阿弥陀仏」をもってして、阿弥陀さまと会話ができます。いうなれば、阿弥陀さまと私の共有語なのです。まさしく、感応道交です。私の…

念仏者は無碍の一道なり

念仏を信じる者は、現在においては、何らの幸福をも受けない者であるかというに、念仏者とは無碍の一道をゆく者であると申されたのであります。念仏する人はすべてのことにゆきづまらず、障害せられるということなく、常に自由の天地を進んでゆくのでありま…

自分ワールド

この図は何を表しているかというと、私が日・米・ブラジルで出会った浄土真宗の信者の様子である。全てとは言わないが、「阿弥陀仏の救いが有難い」という人の話をよく聞くと、こんな状態になっていることが多いように感じた。 頭の中に小さな阿弥陀仏を作り…

南無阿弥陀仏

「我称え われ聞くなれど 南無阿弥陀仏 連れて往くぞの 親のよび声」(原口針水) まさしく、阿弥陀さまと私の間で南無阿弥陀仏が循環しています。 いうならば、風通しがよい、ということでしょう。心地よい風が吹いています。 おかげさまで 今日も 南無阿弥…

阿弥陀さまにおまかせ状態

普段の生活におきまして、 楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、つらいこと、嫌なことの繰り返しではありますが、 根底に南無阿弥陀仏、末通った安心があることはこの上ない幸せであります。 阿弥陀さまに ただ ただ 感謝 おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

手品師オススメ(リンク)に追加しました(その2)

久保光雲のホームページ http://koun18.com/ 仏教論文の朗読1 伊藤康善 師の紹介『獲信解釈の研究』より(約30分)https://www.youtube.com/watch?v=W4zzNmo5zSY ※関心がある方は視聴ください〜

手品師オススメ(リンク)に追加しました(その1)

仏教コラム 『他力信心の世界』 https://ryuun18amida.blogspot.com/

いつも使っている茶碗の模様わかりますか?

さて、私どこへ行っても申し上げてるのですが、近頃世の中が忙し過ぎるためでしょうか、人間の出会いが粗末になってるんじゃないでしょうか。 三年前でございました 。棟方志功先生なんかと一緒に 、日本的な板画の仕事なさってきた長谷川富三郎先生が 、著…

阿弥陀如来の衆生済度

阿弥陀如来の衆生済度、すなわち、わたしどもを助けたいという救済の目的は、信を発させるにあるのであって、それがための本願であり、それがための御修行であり成仏であったのであります。それゆえ、光明の如来となって、普(あまね)く十二光を放って、時…