手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧

お念仏とは

お念仏をよろこぶとか、お念仏を大切にするとか申していますが、そのお念仏とはいかなることなのでしょうか。またさらに率直に言えば、お念仏称えたら救われるとはどういうことなのでしょうか。いまそのおこころをうかがってみるのであります。 大概の人は、…

仏法聞き難し

地元に小牧野遺跡(青森市)という縄文時代の遺跡があります。さぞかし、多くの地元住民が見学に来ているかと思いきや、殆どが県外の縄文遺跡ファンとのことでした。好きな方は、何回もリピーターとして訪れるているそうです。県外からですと、飛行機や新幹…

有無同然

遺産相続をめぐり、バトルを繰り広げている内容の報道をみていますと、私もそういう悩みをしてみたい、と思います(笑)。 お釈迦様は、 「田あれば田に憂へ、宅あれば宅に憂ふ」(大無量寿経)という言葉を残されました。田んぼが無ければ田んぼが欲しいと…

縄文人と現代人

「小牧野遺跡」という縄文時代の遺跡が青森市にあります。今から約4000年前(縄文後期前半)のものといわれています。その遺跡の特徴に、大規模な環状列石(ストーンサークル)があります。当時、呪(まじな)いや祈りを捧げたモニュメントといわれています…

私のテーマ

私のテーマは、短い文章で、いかに分かり安く物事を伝えるか、ということです。勿論、「南無阿弥陀仏」を語る上でも拘っていきたい、と考えています。 おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

願行具足の南無阿弥陀仏

「南無阿弥陀仏」という言葉はたったの6文字ではありますが、そこに込められた願いと行は甚大です。阿弥陀さまの命が込められています。

言葉の力

「言葉の力」ということに拘っています。大峯顯 師は「言葉は語る」という表現で「言葉」というものについて掘り下げて語られていました。『南無阿弥陀仏』も然り。単なる言葉や記号として捉えるか否か、では雲泥の差があります。

理屈なしに南無阿弥陀仏

弥陀は南無阿弥陀仏、これ一つを与えることを以て地金(じがね)としていられます。「廻向を首(しゅ)とする」とはこのお示しです。与えることを地金とされ給う弥陀は、いまわけへだてなく救うことを告げ給うています。私たちはこの無碍光(むげこう)のい…

苦しいときの神だのみ

例えば、健康な人が突然病気になるとします。もちろん医師の診断を受け、薬も飲むでしょうが、回復がはかばしくないと、いろいろの行動をし始めます。民間療法は言うまでもなく、お札(ふだ)をまつったり、呪(まじな)いをしたり、方角や年まわりを占った…

摂取不捨の利益

本願の名号の大悲心によって 、〈出離の縁有ること無き身〉と知らされ 、自我のはからいが絶対的に否定されるところにおいて 、そういう者をこそ助けんとする無碍の大悲心は 、煩悩具足の凡心に届いて信心となり 、真実主体となりたもうのである 。これを 〈…