手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2015-02-01から1ヶ月間の記事一覧

平等な命

妙好人の浅原才市という方がおもしろいことを言っております。 これ才市、何処におるか 浄土もろうて娑婆におる それがよろこび 南無阿弥陀仏 ガンジス河の砂の数を超えるほどのご縁を取り去ったら、ゼロである。それを仏教では、「お浄土」というのです。も…

長寿は幸せか?

加賀の念仏者で、藤原鉄乗という方がおられます。その方の厳しいお言葉があります。 「いつまでも生きていたい、いつまでも生きていたいと、百歳まで生きても、その人は若死である。いつ死んでもいいと、今日一日を喜んで生きられる人は、いつ死んでも、寿命…

完成物 (なもあみだぶつ視点で)

完成物を目の前にして、 「これは本当に完成しているのか?」という人はいません。 もし、そんな風にいう人がいたら、かなりの疑り深いひと、もしくは、ひねくれ者といわなければならないでしょう。 完成物を目の前にすると、 「これは本当に完成しているの…

生かされている命

私たちは自分に都合のいいことは当たり前だと引き受けて、都合の悪いことが起こると引き受けられずにあわてるわけです。もし今朝、目があいて足腰が動いたということが当たり前であるならば、朝、目があいて足腰が動かなくなる日のくるのも当たり前のことで…

予定概念

私には、私の作り上げた小さな予定概念があります。そして、その小さな予定概念に合わないと腹を立て、怒ります。そして、なんとかそれに合せようとします。私が、そこで気づかされたことは、「ああこれなんだあ」ということです。私が自分で勝手に小さな予…

お念仏

「念仏」とは、『歎異抄』のいたるところにある言葉です。 「念仏」とは、−般には、仏に向って仏の名前を口にとなえる儀礼の言葉とされて、その内容はほとんど、自分の幸福を祈ることであったり、亡くなった人の幸福を祈る言葉として、いわば「呪文」と同様…

信心の世界

妙好人の浅原才市(あさはらさいち)さんのお言葉に、こういうものがあります。 ご恩思えばみなご恩(中略) この才市もご恩でできました なむあみだぶつ なむあみだぶつ この言葉を読んだときに、たいへん僭越だけれども、才市さんは本物の念仏者だと思いま…

生かされている私

釈尊は、「縁起」という道理を発見され、それに基づいて「私が生きている」のではなく「生かされている私」であったという、私たちの命の事実に目覚められたのです。今から2500年も前に。これはすごいことだと思いませんか。そういう自己への問いによって、…

迷 信

たとえば病に遇ってもこの自らの病の理由を他に求め、死霊のたたりとか、悪魔のたたりという。科学文明の高度に進歩した現代でも自らの運命を支配するものを他に求め、悪霊のたたり等を現代人にも問題にしている人をみる。宗祖(親鸞聖人)は「化身土巻」で…