手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2014-01-01から1ヶ月間の記事一覧

もったいないお化け

浄土真宗を語る上で

「救いの水際」とか「救いの境界線」という視点で、南無阿弥陀仏を語ることは間違いです。「水際」とか「境界線」という言葉がでた時点で、それは自力です。そこにゴールを自分でこしらえて進もうという発想に陥ってしまいます。視点が自分に置かれてしまい…

『おまかせ』 といっても・・・

重い米 (思い込み)

「浄土真宗の信心」の特色

正信とは、正しい信心、真実の信心、如来廻向の信心という意味であります。正という文字が加えられておるのは、如来廻向の信心であることを意味するもので、凡夫のおこす信心なら「正」とはいわれないのであります。信は仏教一般を通じてたいせつなことであ…

※ここの文

極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我 極重の悪人はただ仏を称すべし 我亦彼の摂取の中にあれども 煩悩眼を障えて見ずと雖も 大悲の倦(ものうき)ことなくして常に我を照したもうといえり 【大意】 極重の悪人は、他の方法では仏に…

浄土往生について 〜何かたしかなものがほしい〜

浄土往生について、何かたしかなものがほしいということは、浄土願生者のだれでもがもつ願いでありましょう。しかも、たしかなものは、凡夫の世界ではおこるはずのないものであります。ただ、そのたしかを、人間の相対の世界で得るのではなく、如来の力にみ…

新春のご挨拶

本年も、慈光の中、安穏の日々に感謝しつつ綴っていきます〜