手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧

聴聞の最前列を占める人たちの心境

聞いて、手ぶらで帰るのです。帰るときには、元の木阿弥になって帰るのが、ほんとうに仏教を聞いた人なんです。浄土真宗の信心は、これですね。しっかり聞かせてもらって、これで大丈夫と。ほかには何もない。生きていくためとか、幸せとか、そのようなこと…

目が光るどころか 燃えているぞ〜  星 飛雄馬 (巨人の星より)

手品師のオススメ

手品師のオススメ(リンク)に琴の糸(ことりさん)を追加させて頂きました。 ねこちゃんのイラストから繰り出す世界がとても素敵です〜 最近では「すべての石、すべての人」「お重を持つ時は一番下から!」を更新されています。 阿弥陀さまのお救いは、だれ…

琴の糸

http://kotonoito.blog89.fc2.com/

たのむ

蓮如上人が「弥陀をたのむ」という言葉をよく使っておられますね。日本語の「たのむ」にはたくさんの意味があります。いろんな意味がありますが、その中の一つに「のむ」という意味があります。薬を飲むの『飲む』ということです。「た」は接頭語ですね。意…

なんとかお願いします!(ではありません)

弥陀をたのむの「たのむ」は、こちらからお願するのではありません

信心

象徴というものは、色々な場合に考えられます。たとえば、赤いバラが情熱の象徴であるというとき、バラと情熱を結びつける必然性はありません。しかし、赤いバラが人間の激しい情熱をあらわすと認められると、バラは情熱の象徴となります。 「百万本のバラ」…

ベルサイユの バラ 

宿善について 1

『口伝鈔』では、「欲知過去因」の文の通りであるといわれているのです。それは、『法苑珠林』に「経にいはく」として「過去の因を知らんと欲すれば、まさに現在の果を観るべし。未来の果を知らんと欲すれば、まさに現在の因を観るべし」といわれた四句の偈…

宿善について 2

『蓮如上人御一代聞書』のなかに、蓮如上人仰せられ候ふ。宿善めでたしといふはわろし、御一流には宿善ありがたしと申すがよく候ふよし仰せられ候ふ (『註釈版聖典』一三〇七頁)といわれたものは、浄土真宗の宿善の特徴を見事にいい表されています。「宿善…

口伝鈔(巻頭) 覚如上人自筆(龍谷大学図書館蔵)

白道とは (二河白道の喩え)

白道というのは清らかな信心をあらわすという意味と、もう一つは阿弥陀仏の本願力をあらわすという意味と二つの意味がこの白道という言葉に重ねられております。 これは、善導大師が白道とは『よく清浄の願往生心を生ずるに喩ふ』とこういうふうに仰っており…

白道 (二河白道の喩え)

二河白道の喩え (善導大師)

報恩講 

『報恩講は宗祖・親鸞聖人のご命日を通して、聖人が生涯をかけてお念仏のみ教えを伝え広められたご恩徳を偲びつつ、あらためて阿弥陀如来のお救いを深く味わわさせていただくご法要で、浄土真宗の門徒にとってもっとも大切なご法要であります。 (中略) 築…

築地本願寺(報恩講) H22.11.11(木)〜16(火)

通夜布教(聞法ホール:築地本願寺) H22.11.15(月)夜〜16(火)朝

※布教使(8名)&講談師(1名)におけるリレー式布教です

祈るのではない

浄土真宗においては「祈る」ということは一切言わない!ということを教えてくださいました。 阿弥陀さまのお救いは、本願力回向のお救いでありますから。 その点が、他の宗教と180度違うところなんだと。なるほどな〜と思いました。 (報恩講での布教より)

祈っているテレサ

テレザート星のテレサ(宇宙戦艦ヤマト2より) ※浄土真宗においては「祈る」という言葉は使いません

聴くより先のお救いを聞く

熱心に聴聞し、真剣に求めていくことは、自力心だといわれようとも、その自力心が働かないと、聞法の縁も恵まれないのであるから、真剣な求道心は、否定媒介的に深い意味をもつものであることは事実である。 あたかも建築現場での足場での役割のようで、こち…

足場

同感です

「信ずる一つで救われる」という表現をよく耳にしますが、これを聞く側にとりましては、信じたら救われるという風に、信じるのはこちらのすることのように誤りやすいので、私は信ずる一つで救われるという表現は使いません。 【言葉のひびきP49〜50 豊島学由…

タラちゃん・・・

信じたら救われるは、どうしても自分(私)が主語になってしまいます。自力なんですね。

なるほどなあ〜

本日、築地本願寺(聞法ホール)で聴聞させて頂きました(杣山眞乘 師 福岡県 明正寺)。午後、1時間と短いご縁でしたが、色々引き出しが増えました。 高 史明(コ サミョン)さんのこと、小林一茶の辞世の句「盥(たらい)から盥に移るちんぷんかん」など。…

聞法ホール(築地本願寺) H22.11.5撮影

仏さまの心情は 「親」

親という漢字は「木の上に立って見ている」という合字であります。 学校を今年卒業した子供が都会地に就職して、その別れる時の親の心情を表像した文字といわれます。 出ていく子供の側は余り親のことは思わなくても、親の側は子供の後姿を見送り、最後に見…

親ということ (1)

親ということは子供がいないといわれないものです。 親ということは子供がいるからであり、子といえば親のいることを証明しています。 【悪人正機ということP23 稲城選恵 和上(探究社)】【手品師コメント】 わたしがいるから、阿弥陀さまは五劫思惟の願と…

親ということ (2)

親と子という関係は、一対一であるところに特色があります。 筆者は兄弟は五人いますが、父親や母親に向かって五分の一の親ということは未だかって考えたことはありません。私と親はいつも一対一で面するのです。 【悪人正機ということP25 稲城選恵 和上(探…

親ということ (3)

親だけは他人と逆になっているのであります。 いかに子供が親に背中を向けても親だけは離れないものです。また子供の願わない前に親は思わずにいられない、云わずにいられないものであります。他人は私の方からお願いすると、聞いてくれるものです。ところが…

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