手品師

浄土真宗の信心を中心に綴ります

コミュニケーション 「人と人(私)」と「阿弥陀さまと私」の違い

言葉を、コミュニケーションを取るための道具と考えるならば、言葉を発する側と、受け取る側がいることが前提となる。「伝わった」という状況は、この両者、つまり、話す側と聞く側や、書く側と読む側の共同作業によってもたされるのだ。 とはいえ、聞く側…

気付き

キリスト教徒は、私たちがまるで神から疎外されていたかのように、神との和解ということを語ります。 真宗の信者なら「どんなに阿弥陀さんから逃げようとしても、阿弥陀さんはいつも付いてきていて、決して離れることはできません。逃げようとすればするほど…

仏教は何のためにあるのか?

驚きのないところには仏法は始まらないのだと思います。「このような世界があったのか」と、思ってもみないような世界、ものの見方があったと、こういう驚きです。 大谷大学にも大勢の学生がきていますが、その中で一番驚きが少ないのがお寺の長男です。僕も…

孤独死

最近、「孤独死」の報道をよく耳にします。ひとり暮らしの高齢者だけに限らず、中高年も例外ではないようです。その原因として、核家族化や近所付き合いの希薄がいわれています。実際、死んでいることに誰も気づかない、という事例が増えており社会問題にも…

阿弥陀さまのはたらきに出会うか、出会わないか

何をもって行とするのか。つまり覚りに至る方法とは何かと言えば、それまでは釈尊の真似をすることだと阿難は考えていたのでしょう。でも全く違っていたのです。如来の徳を行じておられるその如来のお働きに出会うか出会わないかということが大問題だったの…

ギュッと

先日、ちょっとしたことが縁で、テレビの取材を受けました。収録時間は約3時間。実際、放送で使われた時間は45秒でした。エキスをギュッと凝縮した45秒ともいえます。とても貴重な経験でした。 「南無阿弥陀仏」の6文字には、阿弥陀さまの命がギュッと…

人間に生まれた意味

もとより仏教は、釈尊によって始まっています。釈尊はなぜ出家をされたのかといいますと、生老病死の苦悩から解放されて生きる者となりたいと、これが出発点です。この生老病死を苦悩として生きているのは、人間だけです。生まれて年を取り病気をえて死んで…

無限の電波

(掲示板) ほとけさまに圏外なし この掲示板を投稿された住職によると自信作で、「以前、掲示板の言葉として投稿したら、翻訳して海外までシェアされていました」とのことです。 浄土真宗のお寺からの投稿ですから、阿弥陀仏の慈悲はどこにでも届いている…

ちょっと横に置く(私の思いや考えを)

「総序」に「聞思(もんし)して遅慮(ちりょ)することなかれ」(一三二頁)というお言葉があります。私が思ったら思っただけ間違うぞ、だからお前の考えを横に置いておけということです。人間の考えを捨てる訳にはいかないから、ちょっと横に置いておけ。…

時代の流れに沿って

毎日新聞(朝刊) 2021年2月19日(金)付より 追記:毎日新聞(朝刊)2021年2月20日(土)より 訂正されなかったら、とんでもない誤解を生む内容です。なぜ、よりによって、この大事な部分を間違って掲載されてしまったのでしょうか。正直驚きました。伝える…

真理はシンプルだが・・・

「七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)」をご存じですか。お釈迦様よりも先に六人の仏がおられて、お釈迦様が七番目。この七人全員に共通する教えとされています。次のような偈です。 「諸悪莫作(しょあくまくさ) 衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう) 自浄其意…

お悔やみ欄

毎朝、朝刊のお悔やみ欄をチェックしています。名前が載らない日はありません。義兄の新聞購読の大きな理由は、知り合いが亡くなったことを見逃さないためと言います。毎朝、お悔やみ欄に目を通してから仕事に出かけるとのこと。亡くなった人の家族に漏れな…

考えよう

新型コロナウイルスが怖い、その先に、死があるからです。そこまで掘り下げて考えている人は一体どれくらいいるでしょうか。潜在的な死への恐怖は、差別発言やデマの拡散といったもので発散されているのでしょう。新型コロナウイルスの猛威は、人の醜い部分…

心は元気でいたい   

3歳前に脊髄性小児マヒになった。以来、不自由な身体を引きずって生きてきた。松葉づえの使用は70年以上になり、老いては車椅子の力を借りて12年以上になる。けがと病気との闘いが続き、これまでに43回も入院。手術も数多くしたが、何とか乗り越えて…

ねじ曲げられた真実

米ホワイトハウスで開かれた結婚式は過去に18回ある。ニクソン大統領の長女の式もその一つ。ニューヨーク・タイムズ紙は1971年6月13日1面で、その様子を伝えている。 大統領は朝、起きるとまず、この写真付きの記事を読んだ。実はその横に「ペンタ…

仏さまの まねごと

他人の喜びを私の喜びとし、他人の悲しみを私の悲しみとするのが仏さまです。まずはそこからかけ離れた自分に気づくことで、至らない私のあり方というものが気になってくるでしょう。そういう至らない私であっても、仏さまのまねごとをすることで、少しずつ…

教化

「教化」とは、けっして僧侶が門徒を「教え導く」という意味ではありません。親鸞聖人において教化とは、聖人自身が如来の教化をたまわることです。したがって教化活動とは、「仏さまの教化にあずかる場を、僧侶も門徒もひとしく共有する営み(活動)」であ…

当然を当然にうけとる

曽我先生の喜寿特集号の原稿を逸早く送って下された先生、しかもその原稿が絶筆となってしまいました。73年間の永い御一生、その折々にふれて御縁を結ばせて頂いた人々と共に今更ながら先生を仰ぐばかりです(仲野良俊) その絶筆となった一文とは、 「人…

お手本でなく見本

清沢満之(きよさわまんし)の弟子で、加賀の念仏者として有名な高光大 船(たかみつだいせん)さんは、 「人の手本になることはできないが、見本くらいにはなれるだろう」と言ったそうです。 父も母も、たしかに、仰ぎ見てあこがれるような手本ではありま…

反出生主義

南無阿弥陀仏の視点からしますと、「私は生まれてこないほうが良かった」という反出生主義的な考え方はありえません。人間に生まれてこなければ、仏教は聞けませんし、南無阿弥陀仏のはたらきに気づかせられることはないから、です。私において、反出生主義…

まかせる

「仏(阿弥陀)さま のほうが 心配するな 私がシッカリしているから 俺に まかせとけと おっしゃってるんですよ だから『ありがとうございます』と いいなはれ いえなんだら それでもええわ それで ええ まかせといたら ええんだ それが 『まかせる』 とい…

すべてが当たり前でなくありがたい

思えば、いままで「当たり前」だと思って過ごしていた日常は、貴重な、「有り難い」毎日だったのではないでしょうか。また、自粛生活を経験してみて、これまで私たちがほんの少し出歩くだけで、いかに多くの人と接触し、つながりを持って暮らしていたかをお…

浄土真宗の信心

親鸞聖人は供養のために念仏したことはない、と仰っています。浄土真宗において「 南無阿弥陀仏」の念仏は、私が称えるものでありますが、阿弥陀さまのはたらきが私を 通して現れてくださったものだと受け止めます。 阿弥陀さまのはたらきであるお念仏を、私…

時間の二通りの数え方

石原吉郎は『海を流れる河』(花神社)のなかで、時間のふたとおりの数え方があると述べている。 ひとつは、一から始まってこれに、無限に一単位(年でも秒でもいいが)ずつ加えて行くやり方で、私たちはそのようにして、小刻みに未来を生きている。 もうひ…

死について考える

結局のところ、「死」こそが、人間にとっての最大の謎であり、したがって、また魅惑なのだ。少なくとも私は、そうである。言葉と論理、すなわちすべての思考と感覚が、そこへと収斂(しゅうれん)し断絶し、再びそこから発出してくる力の契機としての「死」…

生きていることの不思議

そもそも私たちは、自分の決断で生まれたわけではなく、自分の決断で死ぬのでもない、生まれて死ぬという、人生のこの根本的な事態において、私たちの意志は全然関与していない。気がついたら、どういうわけだか、こういう事態にさらされていたわけです。 こ…

今まさに聞いている

虫の夜の 星空に浮く 地球かな 大峯 あきら この感じですね。秋は空気も澄んでくるから、ちょっと山の中に行けば、満天の星が眺められます。虫たちの大合唱を聴きながら、頭上の星々を見上げれば、当然この感じになっていくはずです。 この句が面白いのは、…

コップの水

人生をコップの水の量で喩えることがあります。コップ半分の水を、まだ半分もある、と捉えるか、もう半分しかない、と捉えるか、捉え方一つで、その意味合いは全く違ってきます。生死問題を考えるのであれば、後者(水は、もう半分しかない)になるでしょう…

お念仏

自分の意思で発しているように思っているお念仏(南無阿弥陀仏)。本当は、阿弥陀さまがわたしと一緒になって称えさせてくださるのでした。そのお念仏は、言葉となって、そして音声となって、わたしの耳に入ります。その繰り返しです。まさに、お念仏は私の…

言ってみたいフレーズ!

この世へ生まれてきた、これを誕生という お浄土へ生まれていく、これを往生という 私の中には死は存在しません 【お念仏とは 梯 實圓 師 御法話より】 「私の中には死は存在しません」 このように言い切れる人は、生死を超えた世界を生きている人です。つま…