手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2010-07-01から1ヶ月間の記事一覧

そのようなことはわからなくともよい

安心は憶念であって、自分の心に覚えがなくとも心の中には、立派に受けとられてあるのであります。わが心でありながら、自分の心の中に、そのような信があるか、どうかは知ることができません。ただ如来様のみがこれを知られるのであります。しかし、そのよ…

手品師コメント (自問自答)

ここで、加茂和上は『 そのようなことはわからなくともよい 』といわれています。 普通に考えますと、「阿弥陀さまから信心を賜れば、当然、わからせて貰えるでしょ?」となろうかと思います。「えっ!どうして?」と訳が分からなくなります。 私なりの回答…

ようこそ!

「ようこそ ようこそ」といえば、妙好人 源佐さんです。 「ようこそ」という言葉は、あくまでも受け手側にたったフレーズです。 阿弥陀仏のお働きを「ようこそ ようこそ」とそのまま受け入れられていたのですね。 「ようこそ!」という言葉に重み深みを感じ…

WELCOME! (イメージ)

味わい (電波時計 編)

電波は目に見えません。 でも、確かにあちこち飛び交っています。 その証拠に、電波時計は電波を受信すると、クルッと針が回って正確な時刻を示します。 阿弥陀仏のお働きは目に見えません。 でも、確かに絶えず働きかけて頂いています。 その証拠は、南無阿…

電波腕時計

無 常

『夫れ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。 されば未だ万歳の人身を受けたりといふ事を聞かず。一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。 ・・・ 中略 ・・・ されば、人間の…

記念写真 (イメージ)

【現 在】 【未 来】 (100年後)

聞こえたまま

誤解を恐れずにハッキリ申しましたらね。 信ってのは、はたして頂きものかということを、私はこの頃思います。 私たちは「頂かなきゃ、頂かなきゃ」と言うもんですからね、頂きにかかるんです。 そうしたら、必ず「あげましょう!」という人がでてくるわけで…

【手品師コメント 1 】

「信心を頂く」となると、どうしても自力になってしまうように思います。 『聞こえたままが』 力みや気張りといったものがありません。気楽です。 ありがたいですね。 南無阿弥陀仏。

信は如来のはたらき 

浄土真宗の信心は「賜わりたる信」ではあっても、「頂きもの」ではない筈である。他力廻向の信と言われる限りにおいて、静止状態としての阿弥陀仏を対立的に向こうに置いて、与え手の阿弥陀仏から、信を頂くというのではない。 他力とは「如来の本願力」であ…

【手品師コメント 2 】

たしかに、『信心は、如来のはたらき』と表現するとピッタリしますね。

無意味 (お前は、地獄行きじゃ!といわれても・・・)

交通事故で、いま瀕死状態のひとに「なぜこうなったのか?」と理由を聞くことはしません。無意味だからです。瀕死状態の人においては、一刻も早く救急車を呼んでもらい病院に運んでもらわねばなりません。 極重の悪人であるものに「お前の罪は深いぞ!地獄行…

救急車

極重悪人の自覚 (深川倫雄 和上)

お説教じゃ、お坊さま方が、いともたやすく「あなた方は罪が深い、あなた方は罪が深い」 と言いますけども、あれは問題だと思います。 それはですね、無量寿経の阿弥陀さまのお救いを説かれてある文、弥陀文。大無量寿経の2/3を占める部分でありますが。その…

だれでもが救われる

サマージャンボ宝くじを購入しました。 「私が、宝くじを買う」という行為がなければ、宝くじに当選するということはありえません。 たとえ、宝くじを購入したとしても抽選番号と一致しなければなりません。殆どがハズレです。 宝くじの勝利者は、ごく限られ…

壮大なスケール

「阿弥陀経」浅井鳴海 師 をCD聴聞させて頂きました。 大宇宙的なスケールに圧倒されます。

大宇宙

信心決定の味わい 野球の話

いつでしたか、プロ野球の近鉄バファローズが優勝した日のことです。 ちょうど近鉄沿線のお寺に布教に行きますと、お同行と一緒に小学生らしい男の子も大勢参詣しているのです。 たしか報恩講だったと思いますが、予定していた話を少しおいといて、私は子供…