手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2016-11-01から1ヶ月間の記事一覧

生死問題

仏教の問題はこの現世だけをどう生きるかという問題じゃないんです。 この世の幸福か不幸かで人間の問題は終わりません。どんな幸せな人生であっても死があります。この世はやがて終わるんです。「やがて」というと、つい遠い未来のことのように思ってしまい…

本当の命のよろこび

人間にとって死ぬことはいったい何であり、生きているということはどういうことであるかは、死は外から見ているだけじゃ決してわかりません。いくら生きていると言っても死んだみたいな人もいます。毎日毎日食べては寝ることのくり返しで、目が覚めているあ…

一つの課題

長生きなんていうことは、人生に生まれたことの本当の目的じゃないわけです。もし長生きが人生の目的だとしたら、人生はあまりにも短かすぎます。長い宇宙の生成からいったらほんの瞬間です。人間同士だけで比べて、この人は七十、あの人は八十とか言ってい…

ただおまかせ

とくに(歎異鈔)第二条の 「念仏は、まことに浄土に生るるたねにやはんべらん、また地獄におつるべき業にてやはんべらん、総じてもって存知せざるなり。」 などはその一例です。お念仏して果してお浄土へ行けるのか、それとも地獄へ落ちるのか、そんなこと…

「ただ信心を要とす」とは、どういうことか

「ただ信心を要とす」ということは、どうする必要もない、どうする必要もなかった、このままでよかったことに気づくだけだ、ということになります。どうする必要もなかった。このままの救い。無条件の救いということです。無条件である。どうする必要もない…

いまが大切

この年の最期の面接で、それまで宗教のことを馬鹿にしていた大橋が、こんな言葉を残していったと渡邉の日誌にはある。 「先生さん、今、起きていることはすべて自分がしたことに原因があるんでしたね。親鸞さんの〝平成業成〟は、今が大切ということでしたね…

南無阿弥陀仏のおはたらき

(歎異鈔)第二章の親鸞のお言葉、ここでは「身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし」と、その「こころざし」という言葉に対して「御(おん)」という尊敬の修飾語が付いている、なぜ「御」がついているかと言うと、「御こころざし」と…

エビデンス

生かされている命。 人間に生まれ、南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされる、 阿弥陀さまのなせる業(わざ)です。 わたしはというと、阿弥陀さまに、ただおまかせです。 その証拠(エビデンス)が、わたしの口からこぼれるお念仏です。 おかげさまで 今日も …

勇みのお念仏

生かされている命、大事にしたいものです。 遅かれ早かれ、この肉体とも別れがきます。 ある先生は、この人生、それぞれ演じているという表現で話されます。 わたしはというと、その辺のサラリーマンです。 まずは、嫁、娘に、南無阿弥陀仏の身になって欲し…

気づいてみれば、もうすでに助かっていた

「念仏もうさんとおもいたつこころのおこる」、こういう形で我々に真実の救済が実現する、ということです。「念仏もうさんとおもいたつこころのおこる」ことが、もう助かったことなんですね。念仏もうして助かるのではない。念仏もうして助かるのならば、そ…