手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2021-09-01から1ヶ月間の記事一覧

念仏の衆生を摂取して捨てず

暗い世界を如来様の光が照らしてくださるのです。人には見せられないどころか、自分でもわからないはらわたの中まで如来の光がとどいている。それが「念仏の衆生を摂取して捨てず」です。〝仏様のみ名を称えるものを摂取して捨てないというたのもしい光明”そ…

お念仏の人

念仏の世界の不可思議とは、人間の分別的な知性では考えることができないということです。なぜかというと、人間の思考は「我」というものを中心にした思考であり、我の枠の外に原理的に出られないからです。しかし、ほんとうにナンマンダブを称えているとこ…

念仏(南無阿弥陀仏)で交流

私は子どもの頃のことを、覚えていますが、まだ小学生の頃、門徒の人が庫裏へ用事があって来られて、帰る時「ちょっと本堂にお礼をさせて頂きます」と言って帰られたことがよくありました。お礼ということはサンキューでしょ。いただいたものに対してありが…

仏法とは

「私はこの世をいかに楽しく明るく豊かに生きるかということのために仏法を聴いています」、もしこういうふうに思って来られたら、これは根本から考え直さなくてはいけないと思いますね。そうではなくて、いったいこの自分は何のためにこの世に生まれてきた…

私の思いや考えを超越した「広大無辺の世界」

仏法の世界というものはもともとそういう広大無辺の世界なんです。私の念仏とか、私の信心とかいう、そういう「私の」という我執の心を離れたところに仏法があるわけです。私だから今日はお寺へお参りしたというような気持ちがちょっとでも入っておりました…

私の生死問題

お経を死者たちに回向すれば、死者たちがその功徳を得て、成仏するだろうというように一般には考えられています。浄土真宗以外の宗派ではほとんどそうなっていて、そこに何の疑問を持たれないようです。これは、仏教が自分自身の問題ではなくなり、死者とい…

安心して死んで行けますか?

阿弥陀様の本願を信じている人は、阿弥陀様のお浄土に間違いなく生まれさせていただくんだから、安心しております。死んでいくことはそんなに嬉しくはないけれど、死ぬことには不安はありません。これはご信心の人の人生です。その人はもう生死の問題を解決…

南無阿弥陀仏という言葉

一切衆生がまちがいなく救われる方法はどこにあるか。それを見つけるために如来の壮大な思考があったのです。そして、それは自分が名号になることだと気付かれたのです。名前となって呼びかけたら、どんなに眠っている迷いの凡夫だって目を覚ます筈だという…

病気を楽しむ心境

正岡子規は自身は宗教嫌いであることを公言してきた俳人ですが、最後の病床で激しい痛みと戦っているときに、ある宗教家から届いた一通の手紙を読んで、それまでなかった安らぎを経験したことを『病床六尺』に記しています。 病気になったら、ただ病苦に耐え…

仏さまの教え

仏教を学ぶには分別的な知性がいちばん悪いのです。何が悪いったって分別がいちばん悪い、というのが仏さまの教えです。教義の概念を頭で理解してそれで事足れりとするのは仏教の精神に最も遠いわけです。言葉の意味を知的に分別してわかるだけでなく、その…