2014-11-01から1ヶ月間の記事一覧
一般に信心というと、自分の方に救われるものがらを作ることのように思い、信心を頂くといえば何か頂いたものを予想し、長い間聴聞しているのに頂けない、もっとしっかり聞いたら頂けるに違いないと、力んでいる人もおりますが、聴いて間違いない手ごたえの…
浄土真宗というものは、仏教の本質をふまえて、そしてお釈迦様のお説き下さった中でも、ただ弥陀の本願海を説くためにお釈迦様がお生まれ下さったんだと、そういういただき方をなさっておられる親鸞聖人の教えは、人生問題の答えを聞くためのものではないん…
すでにわたしに合わせておられる阿弥陀さま、 そのような状況下で、阿弥陀さまの願いに合わせようとしているわたし、 噛み合うわけがありません。自分のはからいは曲者です。 あみださまのおはからいに依りたいものです。 阿弥陀さまはこのように仰っておら…
棟方志功が福光町を引きはらって東京へ出ることになりました。 いよいよ福光と別れ出発した日の情景を棟方は、『苦悶の日々』の中に書き残しています。その日、福光駅は、なごりをおしんで見送りに集まった人で溢れかえり、いつまでも旅立つ棟方の乗った汽車…
「死んだら仏」というフレーズを時々耳にします。 果たして、死ねば誰もが仏になるのでしょうか? 最近では、時代劇はあまり放映されませんが、「死んだ人=仏さん」というシーンがよくでてきます。 「死んだら仏」といえるのは、あくまでも、生前、阿弥陀さ…
道綽禅師の『安楽集』上には、つぎのように記されている。 問う。 すべての人々は、だれでも仏になる可能性があるといわれているが、実際には、多くの人が仏になることができずにいる。それは一体どうしてなのか。思えば、人々ははるかな昔から生れ変わり、…
空腹状態、いやさらに一歩進めて、飢餓状態で目の前にご馳走がでてきたら、本能的に、それに食いつきます。 「自分から(ご馳走を)取りに行く」という点で、『南無阿弥陀仏のおはたらきに気付かせて頂く』とは大きく違いますが、そういう状況においては、誰…