2014-01-01から1年間の記事一覧
東京スカイツリーに行って来ました。360度に広がるパノラマ夜景は感動ものです。 展望デッキ(地上340mフロア)には、ガラス床(2m×3m)があります。足元の眺望を楽しめる構造になっています。 同じフロア(床)ではありますが、(透明な)ガラス床の上に立…
死ぬのは嫌だと思って死んでいく人は、お先真っ暗です。信心のない人は、自分が死んでどこへ行くのか決してわからないはずです。ゴッホと別れてタヒチ島へ行ったゴーギャンという画家がいますが、彼の有名な作品に「われわれはどこから来たか われわれはどこ…
私がここで話しているのも、菩薩さま方に話をしているのかもしれません。このように聞いてくださるから話ができるのです。聞いてくださる人がいらっしゃらなかったら、私はこの話をすることはできません。不思議なことですが、テープに録った自分の法話を聞…
どれだけ仲のいい夫婦でも同じ夢はみないでしょ、毎晩一人ぼっちになる、みんな一人で生まれてきたんですよ。どれだけ仲のいいものどうしでも、絶対に入れない世界でしょ。一人ぼっちが集まった世界。でも、お前を必ず救うという如来の言葉を信じたら、いか…
名を言うということこそが、その人の存在の核心に入るただ一つの道なのです。われわれは、名号を通してのみ阿弥陀さまと親しくつながることができるのです。それ以外にわれわれが阿弥陀さまとつながる道はどこにもありません。一日中阿弥陀さまは尊い方だと…
阿弥陀さまが阿弥陀さまに成っておられるのは、われわれを可哀想だと思って心配しておられることではありません。もしそうだったら私たちは救われません。そうではなくて、阿弥陀さまは私たちが往生することがわかって安心しておられるのです。 『安心決定鈔…
現代では「たすけたまへ」は依頼するだけの意味になりましたが、室町時代はそうではなかったのです。浄土真宗は阿弥陀さまに頼んだりしないはずだから、蓮如上人が『御文章』で「たすけたまへ」と言われるのは、親鸞聖人の教えとは違うのではないかと言う人…
さて、私どこへ行っても申し上げてるんですが、近頃世の中が忙し過ぎるためでしょうか、人間の出会いが粗末になってるんじゃないでしょうか。 三年前でございました。棟方志功先生なんかと一緒に、日本的な版画の仕事をなさってきた長谷川富三郎先生が、著書…
一般に信心というと、自分の方に救われるものがらを作ることのように思い、信心を頂くといえば何か頂いたものを予想し、長い間聴聞しているのに頂けない、もっとしっかり聞いたら頂けるに違いないと、力んでいる人もおりますが、聴いて間違いない手ごたえの…
浄土真宗というものは、仏教の本質をふまえて、そしてお釈迦様のお説き下さった中でも、ただ弥陀の本願海を説くためにお釈迦様がお生まれ下さったんだと、そういういただき方をなさっておられる親鸞聖人の教えは、人生問題の答えを聞くためのものではないん…
すでにわたしに合わせておられる阿弥陀さま、 そのような状況下で、阿弥陀さまの願いに合わせようとしているわたし、 噛み合うわけがありません。自分のはからいは曲者です。 あみださまのおはからいに依りたいものです。 阿弥陀さまはこのように仰っておら…
棟方志功が福光町を引きはらって東京へ出ることになりました。 いよいよ福光と別れ出発した日の情景を棟方は、『苦悶の日々』の中に書き残しています。その日、福光駅は、なごりをおしんで見送りに集まった人で溢れかえり、いつまでも旅立つ棟方の乗った汽車…
「死んだら仏」というフレーズを時々耳にします。 果たして、死ねば誰もが仏になるのでしょうか? 最近では、時代劇はあまり放映されませんが、「死んだ人=仏さん」というシーンがよくでてきます。 「死んだら仏」といえるのは、あくまでも、生前、阿弥陀さ…
道綽禅師の『安楽集』上には、つぎのように記されている。 問う。 すべての人々は、だれでも仏になる可能性があるといわれているが、実際には、多くの人が仏になることができずにいる。それは一体どうしてなのか。思えば、人々ははるかな昔から生れ変わり、…
空腹状態、いやさらに一歩進めて、飢餓状態で目の前にご馳走がでてきたら、本能的に、それに食いつきます。 「自分から(ご馳走を)取りに行く」という点で、『南無阿弥陀仏のおはたらきに気付かせて頂く』とは大きく違いますが、そういう状況においては、誰…
「他力」という言葉は、本来、「阿弥陀仏の本願力」を意味する。本来、と断ったのは、ふつうは「他力」をそのような意味で使うことがないからだ。よほど自覚的な、浄土宗や浄土真宗の信者でない限り、今では「他力」を本来の意味で用いることはない。 たとえ…
電子書籍の紹介です。 お薦めです!!! 響流書房さんから、電子書籍として上記の本が出ました。 スマートホンやタブレットをお持ちのかたはKidleアプリで読むことが出来ます。 内容は、ブログに書いてきた内容の一部に修正を加えたものです。ご一読下さい。…
ここが大切ですから再度、私は繰り返して学生に説明しました。 もう一度、話したことを思い出して欲しいですね。迷いの凡夫から見れば世間は二元論に見ることが出来ます。「悟りの世界」と「迷いの世界」の二つですね。しかしこれが「悟りの世界」に至ったな…
「仏教」を学ぶ場合、大切な心構えがあります。それは、私たちの目で見えたり、声で聞いたり、触ったりすることのできるこの世俗の世界を超えた「仏の世界」を学ぶという大前提を忘れないで欲しいということです。この世俗の世界を学ぶのであれば、それは道…
かつて恩師が、私のこの口に「南無阿弥陀佛」の称名が出てくださっているのは、ちょうど雨だれが跳ね上がっているようなものだと教えてくださいました。 雨だれが滴(したた)り落ちて、石やアスファルトに当たり、跳ね上がる。 跳ねが上がるというのは、当…
亡くなった自分の親や子どもは、このいま南無阿弥陀仏のはたらきとなって、あなたのそばに寄り添っていますよ、というような話を聞くことがあります。 ここで大事なのは、それは、あくまでも、生前、阿弥陀さまからご信心を賜った人、つまり、生前、南無阿弥…
先日、ある方から、「毎日お念仏申しているのに、ご信心を得たという確信がもてない」「信心決定した瞬間を感じることができるのか?」という素直な思いをぶつけれられました。 信心決定については、はっきりとその瞬間を認識する人がいるかもしれませんが、…
女の子 「でもな、おっちゃん。仏さん見えへんで……。どこに居てるんや?」 小林師 「テレビは電波を受けて映るということは知ってるか?」 女の子 「うん。知ってる。電波が来てるから、アンテナでつかまえて、テレビに映るんやろ」 小林師 「そうやな。電波…
『高僧和讃』に、「弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」と、親鸞聖人がお示しくださってありますように、〝のる〟ではなく、〝のせて〟とご教示くださってあることが、大変有難く思えたことでありました。 私が気づいた時には、すでに「大悲願…
「仏法を聞いてください」という僧侶は少なからずおられます。しかし何をどのように聞けばいいのかよくわかりません。仏法を聞くのにどのように聞くのかという指南はほとんどありません。「どう聞くのかなどという解説が必要なのではなく、とにかく聴聞する…
布教使の使命 「お念仏をいただいて生きる」「本願に生かされている」「生かされていることに感謝して生きる」等々の言葉を聞きますが、この言葉がどれだけの人の心を打つでしょうか?この言葉を口にした人たちが、ほんとうにそのように生きようとしている姿…
阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土に生まれ仏となり、迷いの世界に還って人々を教化する 【浄土真宗の教章(私の歩む道) 教義 ※浄土真宗 聖典 −勤行集−冒頭より】 短い文ですが、浄土真宗の教え…
悲願に依り、彼岸へ 今日もなもあみだぶつ 悲願(ひがん) 仏の大慈悲心より発(おこ)された誓願のこと 彼岸(ひがん) かの岸の意。生死(しょうじ)の迷いを超えたさとりの世界のこと。 迷いの世界である此岸に対する語。 慈悲(じひ) 苦を除き楽を与え…
私たちは、善にせよ悪にせよ、これが悪であり、これが善であると断定できるだけの、十分な智慧を所有しているのであろうか。悪と見えることが長い過程のなかで善に転じることもあり得る。その逆に、善であると思っていたことが結局は悪をもたらすだけにとど…