手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2019-01-01から1年間の記事一覧

唯除の心

親鸞聖人は、「一闡提」を非常に問題にされます。その「一闡提」というのは、「愁悩を生ずる者なし」(「信巻」聖典二〇九頁)、悩みを生ずることのない者ということです。その一闡提に応えるものが「唯除の文」なのです。この「唯除の文」については『尊号…

一水四見(いっすいしけん)

仏教には「一水四見」という言葉があります。人間にとっては水ですが、魚にとっては住みかに、天人には宝石に、餓鬼には炎に見える。同じものでも立場や境遇によって、まったく違った見方をするという教えを表しています。【大人の読解力を鍛える 齋藤 孝 幻…

昭和のスター

時間(とき)の流れは早いもので、時代を謳歌した昭和のスターの多くもこの世を去っていきました。 昭和22年に平均寿命は50歳を越え、いまや、人生100年時代といわれています。平均寿命は延びましたが、遅かれ早かれ、死は必ずやってくることに変わ…

南無阿弥陀仏のはたらき

道端に、1万円札が落ちていたらどうしますか?拾わない人は、お金が落ちていることに気付かないか、お金の価値が分からないか、お馬鹿さんか、のいずれかでしょう。では、いま・ここで・私に、はたらいている「南無阿弥陀仏のはたらき」においてはいかがで…

他力には義なきを義とす

(親鸞)聖人が「他力といふは如来の本願力なり」(「行文類」『註釈版聖典』一九〇頁)と言われたときの「他力」は、阿弥陀仏の「本願力」、すなわち、衆生に教、行、信、証を回向して救済する「阿弥陀仏の利他のはたらき」だけを表す言葉として使われたわ…

年賀状(口からトランプ)

ねずみ年の年賀状を投函しました。マジックが趣味の私は、「口からトランプ」の画像に一言添えたデザインにしました。おかげさまで 今日も 口から 南無阿弥陀仏※読売新聞(ひろば:青森版)に掲載されました~(下記リンクより) btejina.hatenadiary.com

阿弥陀さまの救い

救いということは、如来さまのおおせを「まこと」と受け容れて、「おおせのとおりにお浄土へ生まれさせていただきます、ありがとうございます」と念仏を申し、少しずつ自分の心がけを教えに順って、軌道修正していくことを言うのでしょう。如来さまのおおせ…

「仏教を学ぶ」と「仏教に学ぶ」の違い

一般的に言う「仏教を学ぶ」というのは、自分が仏教の勉強をして物知りになっていくことです。「仏教を学ぶ」は、字面の通り、学ぶことの目的が仏教であるということです。では、「仏教に学ぶ」は仏教に何を学ぶのでしょうか。 私たちは、日常生活の中で鏡を…

「仏教の生活化」と「生活の仏教化」の違い

『維摩経』という大乗経典に、「高原の陸地には蓮華を生せず、卑湿の淤泥に乃ち此の葉を生ず」という喩えがある。煩悩にまみれた日常生活の中にこそ仏法の花が開くのだ、という意味である。私は、大学で仏教を少し学んだころ、「どうやったら仏教を日常生活…

なぜ人命は尊いのか

「一人の生命は地球より重い」と言ったのはときの総理大臣 福田赳夫である。1977年ダッカ日航機ハイジャック事件の際に発した言葉だ。「なぜ、人命は地球より重いのか?」の回答を明確に答えられる人はいるだろうか。「人命は地球より重い」といいながら、紛…

景色が違う

ジョギングが日課となっています。いつも、田んぼのあぜ道を左回りに走っていますが、たまに、右回りに走るときがあります。全く同じコースではありますが、景色が全然違います。視点が変わると別世界になります。発想の転換といいますか、柔軟に物事を考え…

とび込んで来て下さる阿弥陀さま

火事と自ら気付いて逃げ出す人もあり 。火事と知らされて 、逃げ出す人もある 。火事だと呼ばれても 、火の付いた家に気付かず 、寝ている赤子もいる 。平気で寝ている赤子を 、抱きかかえて逃げ出すよりほかには助かる道はない 。吾々は何と云われても火の…

お念仏

酒に三段階あり 。初めは 、私が酒を呑む 。次に 、酒が酒を呑む 。遂に 、酒が人を動かす 。泣く人 、口論する人 、笑う人 、けんかする人 。お念仏も 、初めは私がする 。だんだん 、お念仏様がお念仏を呼ぶ 。遂にお念仏様が全身を動かす 。南無阿弥陀仏 …

自分大好き人間

自分中心のひと(1) 鬼のような形相で、聴聞しているような人は、自分の土俵に、阿弥陀さんをもってこようとしているのでしょう。 思いっきり自力ですね。 自分中心のひと(2) 助けるよ、という阿弥陀さま 助かりたい、という私 お互いの思いは合致して…

誤用が定着(他力本願) ※投稿文

仏教からでた「他力本願」という言葉。辞書には「人まかせ」という意味でも明記されている。そのことを裏付けるように、日常生活において「人まかせ」という意味で使われているケースが散見される。誤用が定着すると、本家本元の意味をも越えてしまうのだろ…

如来が作られた言葉

最近、とりわけ、「言葉に拘り」をもってあれこれ考えている私です。この地球上で、言葉を使って生活しているのは人間だけです。そこに注目すると、やはり、人として生まれ、生きていることに深い意味を感じます。 『南無阿弥陀仏は、如来が作られた言葉』と…

信によって免疫性をもった人

信はまた苦悩の免疫性を私どもに与えるものであります。人間であるかぎり、絶対に苦悩が無くなるということはあり得ないことです。どうしても生きているかぎり苦悩はありますが、免疫性のある人のようなものであります。 肺病の病原体というものがあるそうで…

ありのままの世界

西田は 、 「実在 」とは 「現実そのままのものでなければならない 」といいました 。これは 「ありのまま 」といい換えてもよいかもしれません 。 「実在 」を感じるには 、世界をありのままに感じなければならない 、と西田は繰り返し語っています 。 しか…

「南無阿弥陀仏」という灯火(ともしび)

私たちは 「生けるもの 」を生きた存在として感じるとき 、内なる愛をもってそれに接する 。だが 、愛が失われた目で世界を見るとき 、「生けるもの 」は生命なきもの 、すなわち 「止まっているもの 」であるかのように映る 、というのです 。このことは 、…

大峯 顕 先生のこと(浄土真宗僧侶、哲学者、俳人)

以前にも、このブログで、大峯 顕 先生のことを紹介しましたが、あらためて。 「言葉は語る」という表現を用いたのは、大峯 顕 先生です。※あるいは「言葉が語る」。先生とは、六角会館(京都市)、願教寺(盛岡市)の2回、計3回、直接お会いする機会があ…

衆生済度できる楽しみ

ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道(ろくどう)・四生(ししょう)のあひだ、いずれの業苦(ごっく)にしづめりとも、神通方便(じんずうほうべん)をもつて、まづ有縁(うえん)を度すべきなりと云々。(歎異抄第五条より) と言われ…

新ブログの紹介です! ~念仏者 とんのつぶやき~ by とん

念仏者 とんのつぶやき-往生浄土の身となり、いろいろな思いを残しておきます- by とん 下記、リンクです www.nenbutsusyaton.com

わたしは何者?!(その2)

グロバリゼーションやらITについて、世の中賑々しいですね。世界的に、いろいろと猛烈な勢いで動いているようです。でも結局、人類全体としてこれらの事柄を、何のために何をしているのか、みんな全然自覚していないと思う。掛け声は勇ましいんですけれど…

わたしは何者?!(その1)

家に居れば、お父さん病院に行けば、患者さんご飯を食べに行けば、お客さん手品を演じていれば、マジシャン一体、私って何者なのでしょう www.nenbutsusyaton.com

宗教心とは

嘘の言葉を言ったり聞いたりするのは 、ただの暇つぶしです 。世間の話というのは 、ほとんどが嘘か暇つぶしでしょう 。本当のことばかり言っていたら 、たちまちけんかになりますから 、私たちは嘘でごまかして生きています 。けれども 、人生にはひとつだ…

仏の言葉と出遇う

不幸がどういうものかわかっていれば 、不幸になる人はひとりもいないはずです 。前にも言いましたが 、不幸や幸福な人の役を演じていると思えばいいのです 。我々はみな人生という劇の役者で 、貧乏な人の役を演じたりお金持ちの役を演じたりしているわけで…

宗教生活(ひとり歩むという道に立たされる生活)

ある意味で、自分の生き方に不安を感じないということは、そのままもう人間として心を見失っているということでもあるでしょう。ですから宗教、信仰生活というのは、不安がなくなって、矢でも鉄砲でも何でも持ってこいというようになるわけではないのです。…

私の身体はしばらくの借りモノ

以前にも、このブログで同じようなことを書きましたが、やはりそのようにしか思えませんのであらためて取り上げます。 大峯 顕 先生は、生前、以下のようなことをおっしゃっていました。「私たちは、ひとりひとり演じている俳優みたいなものだ。男であれば男…

棟方志功(福光時代:富山生活の6年8カ月)に注目しています。

北日本新聞(声の交差点) 2019年8月26日(月)付より 先日、北日本新聞に私の投稿が掲載されました。 棟方志功(むなかたしこう)についての投稿です。以前から、彼の版画は勿論、彼の仏教に対する姿勢に注目しています。機会を作って、福光美術館(…

ものまね

あるモノマネタレントが、「いくら我々がモノマネで本人に似せてもホンモノには勝てません」というような発言をしているのを耳にしました。 では、南無阿弥陀仏についてはいかがでしょうか。南無阿弥陀仏と声にだしてとなえる念仏は、いずれホンモノの念仏(…