手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2014-06-01から1ヶ月間の記事一覧

「さくらんぼ返し」の数え唄

一つとや 光かかげて往く人の み跡を仰いで参ります。々。 二つとや 不思議のわが身を賜わりて お慈悲の中を遊びます。々。 三つとや 水ももらさぬご本願 この身このまま救われて。々。 四つとや 喜ぶこころを当にすな 当になるのはお勅命。々。 五つとや い…

ボタンの掛け違い

阿弥陀さまは 「南無阿弥陀仏と称えよ」と呼び覚まします わたしは 「南無阿弥陀仏」と応えます ボタンの掛け違いは見た目も変です。 ボタンの掛け違い 【意義素】 意見や物事が互いに一致しない様子を示す表現 【類語】 不一致 ・ 食い違い ・ 齟齬 ・ 相違…

願生心 2

「ただ南無阿弥陀仏と申して疑ひなく往生するぞと思ひとる」という事は、これはそう出来さえすればなるべく別の仔細はない事であるが、そう思いとることが普通の心境では出来ないわけである。 つまり阿弥陀という仏が実在していると思えなければ、それを恃(…

願生心

今ここでお浄土について一言述べておきたいことがあります。私たち現代人は科学的にものを考えるように教育されてきました。だから、ある意味では科学的思考に慣らされています。私たち一人ひとりがお浄土を受け取らせて頂くことが難しい理由の一つです。 こ…

おうむ がえし

今日もなもあみだぶつ わたしに力強く響きます お返しに なもあみだぶつととなえます おうむ‐がえし 1 他人の言ったとおりに言い返すこと。「―に答える」 2 和歌の詠み方の一。相手から詠みかけられた歌の一部だけを変えて、 別の趣向で返歌すること。 3 …

冥福を祈るひと

実は、逆に、願われているひと、です 自分中心のひと、ともいえましょう いやはや 『わたし』は、一体どこにいったのでしょうか?

Dharma + ing

「ダルマを名詞ではなく、動詞と考える」 なるほどですね〜 dharma 音節dhar • ma発音dɑ'ːrmə [名][U]ヒンズー教仏教 1 法,(宇宙・人間などの)本体,本性. 2 教法[戒律](に従うこと). 3 正しい行い;徳. 4 仏教;仏陀(ぶっだ)の教え. 【goo辞書より】

そんなの関係ない

素直になろうがなるまいが そんなの関係ない 小島よしお ならぬ ただ念仏(だけで)よし お である

だれのため

あの人のためでも この人のためでも ありません 『このわたしのため』のご法義です

おまかせ

阿弥陀さまの 「必ず救うぞ!」の呼びかけに 「どうもありがとう!」と応えさせていただくだけ ただおまかせあるのみ あくまでも、わたしは受け手です

おねんぶつ

お父さんと呼ぼうが、 パパと呼ぼうが ダディと呼ぼうが みな、オヤジ(同じ)である 「なもあみだぶつ」も 「なむあみだぶつも」も 「なまんだぶ」も どう発音しようが同じお念仏である。 いずれにせよ 「報恩感謝のお念仏」を称えさせて頂きたいものである…

念仏は声をだして

「南無阿弥陀仏」と声をだしてお念仏をとなえさせて頂くことが大事である それは、自分だけでなく周りの家族の仏縁にもなるからである 「なまんだぶ」と大きく声をだして、お念仏をとなえさせていただきましょう

発想の転換

引いて簡単に開く扉を、一生懸命押し続けても、扉は開かない 扉を押すか引くかは大違いである 当然、結果も大違いである

歓喜と慶喜

親鸞聖人は、「歓喜」と「慶喜」を使い分けておられる 歓喜は、先立ってよろこぶ 慶喜は、いまよろこぶ そこに注目して、お聖教を読むことが大事である

南無阿弥陀仏という言葉

火という文字があるが、火という文字に触っても熱くない。火のはたらきはしない。 氷という文字もしかり。氷という文字に触っても冷たくない。 しかし、『南無阿弥陀仏』は違う。 ただの文字ではない。 はたらきがある。

ナンバープレート

先日の築地本願寺でのこと 駐車している車の車番が7676 南無阿弥陀仏は至るところに届いています

灯火

梯 和上が「バケモノだ!」と称賛された親鸞聖人。 親鸞聖人が、いかほどの方か想像を絶します。 「そういわれた梯 和上もバケモノだ!」と、相馬 師は称賛されていました。 梯 和上の功績ははかりしれません。 昭和・平成の真宗史に、名前を残すことは間違…

浄土真宗の信心

阿弥陀仏の慈悲が分かるためには、善行を積み重ねるということではなく、阿弥陀仏の誓いを信じて念仏するということに尽きる。だが、いくら念仏をしても、ただちに阿弥陀仏の慈悲が身に満ちるとは限らない。念仏を呪文のように唱えるだけでは、阿弥陀仏の慈…