手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2017-03-01から1ヶ月間の記事一覧

わたしは、生かされて生きている

お念仏がわかりにくいのならば、呼吸ということで考えたらどうでしょう。「吐いてみろ、吸ってみろ、おおよくできたな」などということではないですね。オギャーと生まれたときに呼吸をしているのです。これは自然のはたらきによって呼吸をしているのです。…

自分の殻を破る (浄土真宗の視点から)

「自分とは何者か」を考える際、私たちは他人の評価を気にせずにはおられません。もちろん、それは言葉だけに限らず、他人の目や顔の表情や態度などにも現れますが、私たちはそれに基づき、自分自身について自問自答をすることになります。その時の私の行為…

ただおまかせ

親鸞は罪業からの解脱を説かぬ、即ち因果の繋縛からの自由を説かぬ。それはこの存在―現世的・相関的・業苦的存在をそのままにして、弥陀の絶対的本願力のはたらきに一切をまかせるというのである。そうしてここに弥陀なる絶対者と親鸞一人との関係を体認する…

まねる

そもそも「学ぶ」とは、「まねてする」というのが原意であります。ものを学び習うのは、真似から始まるのです。歌舞伎役者が芸を学ぶのは、名人の型を「まねる」ことから始まりますし、職人さんの技術の学びも同じでありましょう。(略) 日常生活でも「まな…

ボタンの掛け違い

今一度、鏡で自分自身を見てみてください。 ボタンの掛け違いは大丈夫でしょうか? ボタンの掛け違いのまま求めても解決するものも解決しません。自分の思い込みほどあてにならないものはありません。方向転換が大事です。 自分が正しい!と信じていることは…

先延ばし、いつまでたっても先延ばし

最後の切り札は南無阿弥陀仏。ある意味あたっているとは思いますがまだまだ甘いです。 このいまが南無阿弥陀仏!ズバリそこなのです! このいま、南無阿弥陀仏ははたらいています! 南無阿弥陀仏のはたらきは、「このいま」なのです。 肝に銘じたい、もので…

ものみな金色なり

築地本願寺の常例布教にお参りしてきました。久々の聴聞で気分爽快でした〜。 その法話の中で、 「ものみな金色なり」(京都女子大学名誉教授:徳永道雄)という話に感銘を受けましたので紹介いたします。 この言葉の背景に、四十八願(大無量寿経)の第三願…

伝播 「あっ、ゾウさんや!」

幼稚園の子どもたちを連れて、動物園を訪れた経験があります。幼い子どもたちの集団を後ろから見守っていると、子どもたちの見える範囲が大人に比べて少ないためなのでしょうか、自分のごく身近な周りしか見ていない子がほとんどであります。 そのせいで、歩…