手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧

信心について

『阿弥陀仏から賜る信心』について、 大峯教授が分かり易く表現されておられます。 以下、その部分(4つ)を抜粋して紹介させて頂きます。

信心 (その1)

私の煩悩の眼がさまたげになって見えないけれど、大悲の光はいつでも私を照らしてくださっていると、源信和尚は言われます。 そういうことがどうしてわかるのかというと、これは言わば、わからないままでわかるのです。そうとしか言いようがありません。 私…

信心 (その2)

わたしはそんなものに乗ったつもりはありません。信じているか、信じていないかよくわかりません、そうおっしゃったって乗ったに違いない。 乗ったか乗らないかということは、自分の意識でわかることではないからです。私はいま阿弥陀さまの大きな船に乗って…

信心 (その3)

信心こそは金剛の心である。 しかしながらこれは、私の信心だけはどんなことがあってもくずれませんと、自分で保証しているような心ではありません。 一定の目標に向かって眼をつり上げて進む、そういう心ではない。そんな心は長続きしないのです。 弓でも張…

信心 (その4)

親鸞聖人は、信心のことを表現するとき、私は信じますと言わずに、疑いがないと、いうふうに言われます。それの方が、信心は自分の心ではないという消息をよく言い表すことができるからでしょう。 信心とは、如来の本願を聞いて、すこしも疑うことがない心境…

荷物

旅行をする場合、荷物が付き物です。 洗面用具、着替え、カメラなどなど・・・。 できるのであれば身軽に旅行をしたいのですが、そうはいきません。 荷物なくして旅行はできません。 阿弥陀さまのお救いは、荷物を抱えたまま、背負ったまま、そのまま丸ごと…

ニモ ツ (ニモ×2)

聞かなければならないこと

ここで私たちが聞かなければならないことは、ただ一つ、それは如来の本願の仰せです。 よくお浄土があるのか、ないのか、如来は本当にいらっしゃるのかどうか、それがわからなければ本願を真実と聞くことはできないといわれます。その気持ちはよくわかります…

モノ

南無阿弥陀仏は物ではありません。 ですので、 握ろう!としても、握れるわけもなく、 つかもう!としても、つかめるはずがありません。 南無阿弥陀仏は、阿弥陀さまから賜るモノであります。 賜るモノといっても、なにかの物体ではありません。 つまり、南…

阿弥陀さまのお救い

いつ?いま! どこで?ここで! だれが?わたしが! なのです。

いま とは?

いま とは「このいま」です。 「そのうち・・・」とか「いずれは・・・」ではありません。 「このいま」です。

大安心

私が意識しようがしまいがそんなことには全く関係なく、 阿弥陀さまは、この今もはたらきかけてくださいます。 ふと我に返ると、そこに南無阿弥陀仏があります。 そこに大安心があります 誠にありがたいことです。 なむあみだぶつ。あむあみだぶつ。

自力と他力の水際?!

阿弥陀仏に救われると「自力と他力の水際がハッキリする」という表現で書いてある本があります。 確かに、阿弥陀さまの側からみればそうでしょうが・・・。 しかし、凡夫である私の側からすれば、そんな自力と他力の水際なんぞハッキリ分かるものではないと…

真剣な求道?!

これまた、ある本を読んでいましたら、「真剣な求道」という言葉がありました。 阿弥陀さまのお救いと「真剣な求道」はなんの関係もありません。 しかし、真剣に求めさせて頂いているのも阿弥陀さまのおはたらきであることは間違いありません。 阿弥陀さまは…

さわやかな日差し

さわやかな日差しが、この今も、ひとりひとり平等に降り注がれています。 この日差しを思い存分浴びさせて頂くには、日差しを遮っている日傘を閉じればよいのですが、残念ながら自分自身で閉じることはできません。 どうしても、日傘に執着してどうにもなら…

散歩、日傘をさす女性

善知識

ここで最も問題とすべきことは、師(知識・善知識)と弟子(門弟・門入・門徒・信徒)との関係である。浄土真宗の信心は自己の抜き難い自己中心性や罪悪性に絶望し、自己の力による解脱の道に挫折した個人と、そのような人が救われなければ自分は仏に成らな…

先生

如来さまのお救いの方が先

私たちは聴聞を積み重ねていくのだけれど、聴聞を積み重ねたと思っていたら、如来さまのお救いの方が先だったと聞くのですね。 如来さまの行に、私の積み重ねた善根功徳は全部とられてしまう。 【人間の願いと如来の願い 豊島学由 本願寺 P113より】

平生業成

よく「聴聞を重ねて……」といわれますが、重ねて聞かせて頂く、積み重ねて向上していくのは、知識の世界です。 仏教は、知識の立場と立場が違うんです。知識は、ないよりもあったほうが役に立ちます。知識は、積み重ねの世界です。 ところが、仏法の世界は智…

真宗の信心

真宗の信心は、一生懸命聞いて持って帰るものではない、確信を抱いて帰るというものではない、ということです。「これでいよいよ間違いない」といように自分で決めるのではありません。それでは頼りないですか。頼りないことはないのです。 命がけで聞きに来…

今は意識で聞いていても

今は意識で聞いていても、時節がくると、そういうことがほどけてくることがあるのではないでしょうか。 【藤原正遠 講話集 第二巻 P127より】 【手品師コメント】 言い換えれば、 「聴いているうちに聞こえてくる」ということだと思います。 阿弥陀さまのお…

ほどけた靴ひも

※ 姉さん女房は知っていました(笑)・・・