手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧

何のために生きるのか

私は子供のとき、父親に「お父さん、人間は何のために行きとるの」って聞いたことを憶えています。小学校の三、四年頃だったと思います。すると、父は「さとりをひらくためだ」と答えてくれましたが、何だかわかったようなわからないような気持でした。(略)…

私とは何か

たいていの人は、死は一番よくないことだ、死んでしまったら何もないとわかったように言ってますが、それは自分が勝手に想像しているだけの話じゃないですか。それは人間の妄想にすぎません。妄想から覚めた人の言うことを聞かないことには、人は決して安心…

異 議

浄土真宗が教えている真理と違うことが浄土真宗の名前において言いふらされるということがあれば、これは大変なことです。浄土真宗と違う教えを説くことは、もちろん各人の自由でしょう。しかし、親鸞聖人が仰ってもいないことを浄土真宗の名で言ったら、こ…

垣 根

浄土真宗を誤解してしまうと、私たちはどうせ凡夫だからと言って、いつも如来様と私との間に隔てを置いて、こちらからご尊敬申し上げているだけになります。如来様をご尊敬なんかしているのは他力の信心とは違います。如来様の心と私の心が溶け合うことが信…

仏法は聴聞に極まる

人間は、世間に通用する凡夫のそらごと、たわごとの言葉を信用して一生を終わるか、それとも目覚めた人の語る真理の言葉を聴いて、悔いのない人生をおくるか、これが大事な分かれ道です。人生の道は根本的に二つしかありません。仏様の言葉を信じるか、凡夫…

悪い子ほど可愛いという親心

(歎異鈔)第三条には有名な「悪人成仏」の思想が出ています。これは従来の全仏教を根底からひっくり返すような性質の思想です。自力聖道門は諸善を修する道を歩いていって仏に成ることを説くわけですから、これはやっぱり悪を止めて善を行ずる仏道です。も…

大きな不安(人生の根底に死がある)

とくに現代人は、自分が死ぬということが人間の大問題だということになかなか気づかないで生きています。ところが、死ぬということは、生きている人は今まで一度も経験していないことなんですから、これは大問題ですね。死は今晩来るかもしれない、明日かも…

南無阿弥陀仏のはたらきに包まれて

私たちが人間商売やっているのはほんのしばらくの期間です。人間の一生は今晩でおしまいかも分かりません。仏法を聞くとき、自分は明日も明後日もいると思っていたら、仏法は心に入らないでしょう。来年もまた永代経に参れると思って聞いているから駄目なん…

お念仏

一生懸命念仏するというような言い方は浄土真宗にはありません。お念仏には一生懸命もいい加減もありません。お念仏というのは如来様自身の行を行ずることであって、自力の行じゃないからです。お念仏一つと言っている人でも、どこかにまだ、自分がしている…

浄土真宗の信心について (手品師 推薦の本)

ここ最近、『歎異抄』 大峯 顕(百華苑)シリーズから抜粋して紹介しています。5年ぶりに読み返しています。『浄土真宗の信心』について、非常に分かり易い表現で書かれています。1冊のボリュームは少ないですのでスラスラ読めます。紹介したい文章(5年前…

何にビックリするのか?

私は阿弥陀さまにとっくに助けられていたんだ。これに気づくことが信心です。気づいたことが助かったことです。これから一所懸命聴聞して助かろうというのは、なんまんだぶの世界じゃないのです。「助けてあることのなむあみだぶつ」と才市は歌っています。…

あまりにも身近すぎて

私たちは十劫の昔から阿弥陀さまのお助けの中にいるんです。阿弥陀さまの中以外に生きる場所はどこにもありません。そのことを知らないで、自分の力で生きているように思っているからどこまでも生死輪廻を繰り返してきたのでありましょう。ところが、このた…