2014-02-01から1ヶ月間の記事一覧
浄土真宗は煩悩は捨てなくてもいいんですけれど、はからいは捨てねばなりません。如来さまのお救いに対する疑い心をすっかり捨てることです。 そういうわけで、大きな如来さまのいのちの海に浮いている私たちの人生でございます。お浄土に生まれた人は必ず現…
私たちが知らないそういう私たちの心の内を、如来さまはとっくの昔から知っていらっ、しゃって、そうして私たちが気がつく前に私たちの根本にある一番大きな不安を私たちの生れて来る前にちゃんと解決して下さっていたのです。このことの不思議をわからせて…
「仏様の教え」というのは、人間の知識や経験で生まれてきたものじゃなくて、お悟りを開かれたお方が、真実を見抜かれた智慧によって教えてくださっている教えなんです。 自分の都合でしか見ることの出来ない私に、自分の都合を捨てなさい。と言われても到底…
私たちというのは、いつでも゛自分の都合〟でしか物をみることができないし、自分からしか始まらないのです。私たちは全てを自分の都合という物差しで、善し悪しを決めている、ということを表しているんです。 例えば「今日は、いいお天気ですね」という挨拶…
私たちの周りには楽しいことがたくさんあります。何時終わるかわからないいのちならば、できるだけ楽しく暮らしたいということもよく理解できます。 でも、どれだけ楽しんでも、いや楽しければ楽しいほど、その楽しい人生の行き先が「死んだらおしまい」とい…
お浄土は 日に日に近くなりにけり 嬉しさも増す 誕生日かな (蓮如上人の歌に似せて) 母より サンクス!
小川の水が、スミレやレンゲなど、岸に咲く花の一つひとつに、「やさしく、色うつくしく咲いているね」と、ささやきかけている情景です。 ただサラサラと流れ続けている小川の水が、エビやメダカや小鮒の群に、「今日も一日ひなたで泳ぎ 遊べ遊べ・・・・・…
画像は http://road-weed.de-blog.jp/m_days/2009/07/post_298c.html シャボン玉より 自分のいのちが無常であるということを知るなら、一瞬一瞬のいのちがいかに大切であるか、今なすべきことは何であるか、ということを真剣に考えるようになるのです。仏法…
【タイトル】セーヌ川の川岸(1887年) 【画家】フィンセント・ファン・ゴッホ 淀川が大阪を流れていて淀川の岸が東京にあるなんて、そんなバカなことはありません。川に沿って岸があるのです。川と岸は離れていないのです。同じように、私に沿って阿弥陀如…