手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2017-09-01から1ヶ月間の記事一覧

ありのままの姿とは

仏教では、私たち人間が自分中心的に自分のものさしで物事をはかり、思い通りにしようとするあり方を分別智(ふんべつち)といいます。世俗において、「分別」という言葉は、世事に関して常識的で慎重な考え、判断する能力を指す意味があり、社会生活を営む…

「知る」と「智る」の違い

万有引力という理を認識する方法には次の二つがあります。 ①目の前で落ちるある物体の落下を観察し、分析して引力の法則を記号と数式とで表して理解する。 ②どこか高いところから飛び降りて、自らその引力を体験する。 同じ「引力」という言葉でいわれる「も…

アリから人間は見えない

80歳近い男性の方の思い出の話です。小学生のころの夏休みのことです。庭で、アリが行列をつくって物を運んでいるのを、おもしろくてジット見とれていたら、急に夕立が降って来ました。滝のような雨に屋根から落ちて来る雨水が、アリの行列に襲いかかって…

生死一如(しょうじいちにょ)

私たちの分別というものは、それを対象化して実体化します。生は生。死は死と。そこで今自分は生きている。これが何十年先までも生きる。そうするとその間が生だ。そして、その先に死というものがやってくる。こう対象化して考えているわけなのです。 でも今…

大きな世界

私たちは、阿弥陀さまの真実のはたらきの中に包まれ生かされているにも関わらず、それに気づかず、真実に逆らう生き方しかできていないのです。常に自己中心の心から離れられず、「自分が、自分が」という小さな世界を創り出し、その中で、他人を傷つけ、自…

真実信心(他力の信心)

親鸞聖人が明らかにされた浄土真宗の法義においては、往生成仏の正因をそのまま信心とするものであり、ただ信心のみによってさとりに達することができるので唯心独達ともいわれ、信心はことに重要である。 時代も越え、人の資質も行を修した長短さえも問題と…