2017-07-01から1ヶ月間の記事一覧
人は必ずしも臨終を平静に迎えるとはかぎらない。どのような悪相(あくそう)をもって終わることになるかもしれないであろう。そもそも苦しい息のなかで、念仏を唱えることはとても難しいのではないか。にもかかわらず、死ぬ瞬間には妄想を懐いてはならない…
『歎異鈔』では、明確な、阿弥陀仏への信仰が要求されている。となると、阿弥陀仏はどこに存在するのか、が問題となるし、かりにその物理的存在を問う必要がないとしたら、阿弥陀仏の存在をいかに納得するのか、が重要な課題となる。このような阿弥陀仏の存…
私が学生のとき、指導を受けた恩師の一人がこのように仰っていました。 授業中に「みなさん、わかりましたか?」といったときには、「みなさん」をそれぞれの名前に置き換えてください。たくさんいる受講生のうちの、何人かがわかってくれたらよいというので…
善導大師は定善義に、「念仏の衆生の身・口・意の三業と、阿弥陀仏の三業とはお互い離れない」と仰っています。 これは「念仏衆生摂取不捨」の解釈として述べられています。阿弥陀仏の光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまわない…
私の趣味はマジックです。 観客からしてみると不思議としか思えない現象であっても その背景には、手品師しか知らない仕掛けが施されています。 南無阿弥陀仏もそうなのでしょう。 阿弥陀さまが計り知れない大仕掛けを施されています。 いずれ、その大仕掛け…
まずは南無阿弥陀仏のはたらきに気付くことです。 いまは、(わたしは)阿弥陀さまにおまかせ、ただそれだけ分かっていれば十分です。 このいま生かされている壮大な仕掛けはいずれ分かりますので。 いまは、ただお念仏を称えるだけです。
自分の体もしばらくの借りモノです。 望んでいないルックスかも知れませんが(笑)、しばらくの縁ですね。 いずれ自分の体とも別れの時が来ます。 メンテナンスをしながら、もうしばらく付き合っていきます。
なんやかんやいいましても 結局のところ「わたし」です。
心臓ひとつに注目してみましても不思議さを感じます。 私の意思に関係なく動いているからです。 心臓は血液を全身に送るポンプの働きをします。 その働きが止まれば、当然、死んでいかなければなりません。 他にも腎臓や膵臓等も私のコントロールが効かない…
なぞなぞは子どもには人気ですが、そこには大人も考えさせられるものがあります。 「自分のものなのに、他の人の方がよく使うもの、なぁに?」 このなぞなぞをある会で申しあげたところ、働き盛りの一人のお父さんが自信満々に手を挙げて答えられました。 「…
宗教の「教え」は、「情報」とは異なります。情報をあつかうスキルは熟達していきますが、教えに身をゆだねることは簡単ではありません。特に現代人はその傾向が強いと思います。 情報というのは新しいものが手に入れば、それまでのものは不要になります。役…
空前の将棋ブームです。 北斗の拳 ケンシロウ風にいいますと、 「お前はすでに詰んでいる」となります。 すでに秘孔を突かれているわたしは、 「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えるだけでした。 おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏