手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

優先順位

「東京行き、東京行き 」と呼ぶ声に応じて 、乗り込めば東京に着く 。この電車はどうして東京へ着くのか 、動くのかと 、その講釈聞かねば 、知れなければ 、乗らぬと言うたら 、私等は何時までかかっても 、東京へは行けぬ 。聞きたければ南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と 、乗ってから聞くがよい 。講釈聞き終わらぬ内に 、東京に着く 。わからなくても 、東京に着けば聞いた事になる 。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と乗ればよい 。南無阿弥陀仏知れなくても 、東京に着けば知った事になる 。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

【松並松五郎念佛語録 響流選書より】

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まずは、「理屈なしに南無阿弥陀仏」と念仏称える身になることです。

深川倫雄 師は、「お城の喩え」で以下のようにいっておられます。

『譬えていえば、ある町へ行くと、お城があって大変高い石垣がある。お城へ登って外を見て、「ああ、いい景色」といえばそれでよろしい。下へ行ってから石垣を見て、「まあ高い石垣。よく組んだもの」と、暇があるから、この石垣の組み方を見てみようではないか。それがお聴聞。お聖教の勉強。上に立って、いい景色を眺めさえすればよろしい。だけども、暇があるから、よくもこんな石垣を組んだものだとその石垣の組み方を調べてみては、「ようこそ、ようこそ」というわけです。調べなくとも、景色に変りはない。石垣がどう積んであるかと研究しようがしまいが、石垣の上からの景色に変りはさらさらない。ないけれども、石垣を研究してみればみるほど、「ようこそ、ようこそ」とご恩が知らされる(佛力を談ず 深川倫雄 講話集P117〜P118 永田文昌堂 より)』

 心したいものです。

おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

 

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