手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧

確かなもの

本当に確かなものが何処にあるのか、『歎異抄』の後序にある親鸞聖人のお言葉には、 煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたは ごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします (『註釈版』853頁 『真宗聖…

念仏は仏の呼び声

「南無阿弥陀仏」と称えることは、もともと「この世界に充ち満ちる限りない光と命のはたらきにおまかせします」という意となり、自分自身の生きる方向性を表す言葉なのです。 ところが親鸞は、南無を「おまかせします」ではなく、「まかせてくれよ」と仏に呼…

ギャップ

阿弥陀さまからみた私 私からみた私 そこには大きなギャップがあります。 (わたしが)そのギャップに気付かされると 南無阿弥陀仏とお念仏がこぼれます。 おかげさまで 今日も なむあみだぶつ Arrows in different directions

善人さま

自分の力でなんとかなるさ、という人は 阿弥陀さまからみれば、善人さま、です。 せいぜい頑張ってください〜

生かされている命

人生、自分の思い通りにならない ましてや、死にたくないのに死んで逝かなければならない現実があります。 そこだけをみましても、 わたしは、生かされて生きている、ということが分かります。 今日も 生かされて 南無阿弥陀仏

悪人正機説 (親鸞思想 最大の逆説)

善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、 「往生なほ往生す。いかにいはんや善人をや」。 (善人でさえ浄土に往生することができるのです。まして悪人はいうまでもありません。ところが世間の人は普通、「悪人でさえ往…

念仏の一本道

教師として歩み始めた私は、生徒とも心が通わず、重苦しい日々を生きていました。私は人として誠実に生きることを一番大切にしていました。それが真実に生きることだと思っていたからです。それは間違いをおかした自分を責めることでもありました。人を裏切…

これから仏教を学ぼうとしている皆さんへ

宗教教育が皆無と言っていい現代の日本社会では、宗教、信仰という事柄が、正しく理解されないまま、ただ風習化しているように感じます。宗教教育とは、一宗、一派の勧誘でも、概要説明でもないものです。宗教機能のメリット、デメリットを正確に教えること…

他力とは

Q: 浄土真宗でいう他力とは、努力を否定しているのですか? 親鸞聖人は、私たちの行為を決して否定しているわけではありません。むしろ親鸞聖人は、阿弥陀如来が「どんなときでもあなたのそばにいるから、精一杯生きなさい」と励まし、支えてくださる「南無…

挨拶の大切さ

皆さんは、挨拶が正しくできていますか?「おはようございます」「さようなら」、「よろしくお願いします」「ありがとうございました」、このような挨拶がきちんとできると、気持ちのいいものです。 挨拶という言葉は、実はもともと仏教用語なのです。挨拶の…

教化

教化というけれど、民衆に宗教心を与えるのではなくて開くのです。民衆は宗教心をもっておるんです。民衆自身がもう本願のなかにおるんです。だからそれを開くといっても、こちらの研究が開きはせんのです。こちらがこういう感銘をうけましたということが開…