手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2020-12-01から1ヶ月間の記事一覧

お手本でなく見本

清沢満之(きよさわまんし)の弟子で、加賀の念仏者として有名な高光大 船(たかみつだいせん)さんは、 「人の手本になることはできないが、見本くらいにはなれるだろう」と言ったそうです。 父も母も、たしかに、仰ぎ見てあこがれるような手本ではありま…

反出生主義

南無阿弥陀仏の視点からしますと、「私は生まれてこないほうが良かった」という反出生主義的な考え方はありえません。人間に生まれてこなければ、仏教は聞けませんし、南無阿弥陀仏のはたらきに気づかせられることはないから、です。私において、反出生主義…

まかせる

「仏(阿弥陀)さま のほうが 心配するな 私がシッカリしているから 俺に まかせとけと おっしゃってるんですよ だから『ありがとうございます』と いいなはれ いえなんだら それでもええわ それで ええ まかせといたら ええんだ それが 『まかせる』 とい…

すべてが当たり前でなくありがたい

思えば、いままで「当たり前」だと思って過ごしていた日常は、貴重な、「有り難い」毎日だったのではないでしょうか。また、自粛生活を経験してみて、これまで私たちがほんの少し出歩くだけで、いかに多くの人と接触し、つながりを持って暮らしていたかをお…

浄土真宗の信心(誤解がないように)

親鸞聖人は供養のために念仏したことはない、と仰っています。浄土真宗において「南無阿弥陀仏」の念仏は、私が称えるものでありますが、阿弥陀さまのはたらきが私を通して現れてくださったものだと受け止めます。 阿弥陀さまのはたらきであるお念仏を、私た…

時間の二通りの数え方

石原吉郎は『海を流れる河』(花神社)のなかで、時間のふたとおりの数え方があると述べている。 ひとつは、一から始まってこれに、無限に一単位(年でも秒でもいいが)ずつ加えて行くやり方で、私たちはそのようにして、小刻みに未来を生きている。 もうひ…