手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2013-02-01から1ヶ月間の記事一覧

ひよこちゃん

我 執

自分の殻に閉じこもる そとは、ひらけているというのに が‐しゅう〔‐シフ〕【我執】 1 自分中心の考えにとらわれて、それから離れられないこと。我を通すこと。また、その気持ち。「―にとらわれる」 2 仏語。人には常住不変の実体があるとする誤った考え。…

天狗の羽うちわ(てんぐのはうちわ)

鼻が伸びるウチワを使って長者の娘にイタズラする若者の話

「こんなことでは」と心配している人

自力心というのは、必ずしも自分のやったことを役だてようとする心だけではありません。如来の願力を信用しないことも、自力心というのであります。だから、「こんなことで往生は出来るだろうか」と心配するのは、自分の煩悩の力を強くみて、如来の本願力を…

20世紀の美術を代表する世界的巨匠

棟方の肉筆画作品は「倭画」と言われ、国内外で板画と同様に評価を受けている。大変な近視の為に眼鏡が板に付く程に顔を近づけ、軍艦マーチを口ずさみながら板画を彫った。 第二次世界大戦中、富山県に疎開して浄土真宗にふれ、『阿弥陀如来像』『蓮如上人の…

そのまんま他力の真ん中にいる自分だと知らせていただいた

「富山では大変ないただきものをしました。衣食住もそうですが、もっともっと大きないただきものをしました。それは南無阿弥陀仏です、これまで長い間、自力の道を駆けずりまわっていた足が、そのまんま他力の真ん中にいる自分だと知らせていただいた。これ…

南無阿弥陀仏となってはたらきかける

亡きあとにかるを尋ぬる人あらば、弥陀の浄土に行たと答えよ(お軽さん) さらに一歩進んで、私であれば 亡きあとに私を尋ぬる人あらば、もう既に南無阿弥陀仏となってそばに寄り添っているよ!と答えてください 恐縮です。

駒立の吉蔵同行語録

南無阿弥陀仏という体そのものに徳がある 大名が持っても乞食が持っても十両は十両。持った人によってその値打は変わりゃせぬ。 今も南無阿弥陀仏という十両も、聞き手に徳があるのじゃない。南無阿弥陀仏という体そのものに徳があるのである。機(聞き手の…

南無阿弥陀仏は南無阿弥陀仏

あの人から発せられた南無阿弥陀仏は尊い。 この人から発せられた南無阿弥陀仏はそうではない。 人をみて判断しがちですが、それは間違いです。 人ばかりに目を向けていてもなんの解決にもなりません。 南無阿弥陀仏が二の次になってしまっては本末転倒です…