手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧

理屈ではない

南無阿弥陀仏は理屈ではありません。 日々、私は空気を吸って生きています!とわざわざ宣言して生きている人はいるでしょうか。それと同じようなものです。 空気を吸っていることを意識するのは、 森林浴で、空気がおいしい!と深呼吸して空気を味わう時ぐら…

フォース

マジック用語で「フォース」という言葉があります。 これは、手品師が意図したトランプカードを、強制的に観客に選ばせることをいいます。 観客は、すべて自分の意思で、そのカードを選んだと思いますが、 実は、手品師によって選ばされているのです。 南無…

最後に届いた手紙 (池田晶子)

池田さんから最後にとどいた手紙は、逝去の四ヶ月ほど前の2006年10月3日付のものである。池田さんの思考の核心部に生まれた一つの変化を語っているように思われるので、少し長いが全文を記しておこう。 拝啓 連載コラムで御作を使わせて頂きましたので御笑覧…

さかさま

仏法を聴かなきゃ始まらないんですけど、仏のはたらきが聞こえてみれば、私が聴いたからではなかった。すでに私のところに仏のはたらきは届いていたんだ、と気づかされるんです。これが浄土真宗の世界です。一般の行動様式と少し違うんです。 だから私たちは…

南無阿弥陀仏

本日、願教寺(岩手県盛岡市)にて聴聞(大峯顕 師)しました。約2年ぶりです(早朝6時〜8時、午前10時〜12時)。 大雨でしたが、こころは日本晴れです(笑)。聴聞はこころの清涼剤ですね〜。 「南無阿弥陀仏に生かされる」という講題でのお話しでした。 先…

マグマ噴出

智慧の念仏うることは 法蔵願力のなせるなり 信心の智慧なかりせば いかでか涅槃をさとらまし (真宗聖典503頁 or 註釈版聖典606頁) というご和讃があります。「智慧の念仏」「信心の智慧」とありますが、面白い言葉ですね。念仏の智慧とは言わず、智慧の信…

わたしの身体も頂きもの

いままで、あまり意識していませんでしたが、最近、ふと思うのです。 わたしの身体そのものも頂きもののように。 やがて、この身体(肉体)とも別れがきます。 しばらくの縁ですので、できるだけこの身体ともうまく付き合っていきたいと思います。 わたしが…

阿弥陀さまによって自覚させられる

人間にとって、最後の問題は自己の問題です。信心とは、自分がなくなることではなく、本当の自分になることです。別の言葉で言えば根源的な自覚です。自覚は哲学者たちが好む言葉だといって嫌う教学者もいますが、先ほど名前をあげた4人の偉い先生方(鈴木…

凡夫の唄

凡夫が仏になる ああ ありがたい ありがたい こんなありがたいことはない 【詩集 まるはだか 竹部勝之進より】 凡夫が仏になる 本来ありえないことが、ありえる 阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のはたらきのなせる業です 南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされたひと…

念仏者

念仏はわきでるもの いつ何処にいてもわきでるもの 自然に ああ ありがたい ありがたい 【詩集 まるはだか 竹部勝之進より】 「南無阿弥陀仏」のお念仏が湧き出たとき 阿弥陀さまから信心を賜ったときです 賜るといっても、なにかのモノではありません 自分…