手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2024-05-01から1ヶ月間の記事一覧

このいま・ここで・わたしに

この世の中には、明るい方向と、暗い方向がある。明るい方へ向いている花は早く咲くではないか。暗い方角にある日陰の花は、どうしても花開くのが遅くなる。道を求めるというのも同じことである。もうすでに明るい人生に甦(よみがえ)った人もいる。今甦ろ…

「南無阿弥陀仏」という言葉

東洋の伝統的な思想のなかでは、多くの場合、言葉は分別の力によって世界を把握していくための枠組みないし道具であり、それによって生みだされた世界像は虚構性に満ちていると考えられてきた。 それに対して親鸞は、真なるものが言葉に現れると考える。そし…

自分の都合

同じように蓮如さまは教えられた。「自分の狭い思いの部屋の中に閉じこもって、教えを聞いているつもりになっている者は、その自分の都合という障子を取り払ったら、一度に明るい世界に顔を出すことができるに」と。本当に有難い教えでありました。 【現代語…

阿弥陀さまと一緒

金森の善従に、ある人が、「近頃は寂しくお暮しでしょう」と話しかけると、善従は「私は八十になるが、この歳まで、寂しいと思ったことは一度もなかった。なぜかと言えば、私は幸運にも、阿弥陀如来の明るい眼にめぐりあい、毎日、親鸞さまの和讃やお念仏の…

そのままいただく

蓮如さまの隠居所、山科本願寺の南殿で、蓮如さまの御子、蓮悟さまが、存覚さまのお書きになった教えについて、「よくわからないところがあるのですが」と蓮如さまにお尋ねしたら、蓮如さまは「南無阿弥陀仏の世界に生きられた大先輩のお書きになったものは…