2023-01-01から1年間の記事一覧
どんなに仏教の教えを学んで、知識が豊富になっても、阿弥陀如来の明るい眼(南無阿弥陀仏のはたらき)とめぐりあわなければ、すべて空しいことである。阿弥陀如来の広大な心に文句なしに頭が下がって、初めて明るい人生が歩めるのだとうなずいて、生涯その…
親鸞は言う 浄土真宗に帰(き)すれども 真実の心(しん)はありがたし 虚仮不実(こけふじつ)のわが身にて 清浄(しょうじょう)の心もさらになし (『正像末和讃』) 親鸞の悲歎である。もし、真宗に出遇わなければ、「わが身こそ真実」と、傲慢(ごうま…
【歎異抄第十条】 「念仏には無義をもって義とす。不可称不可説不可思議のゆえに」とおおせそうらいき。 【語注】 無義をもって義とす 人間の思慮分別を加えないことをもって本義とする意 【現代語訳】 「念仏は、義(はからい)無きをもって本義とする。称…
蓮如さまは、「南無阿弥陀仏の南無というのは、頭が下がる(帰命)ということである。何に頭が下がるのかと言えば、明るい阿弥陀如来の眼(南無阿弥陀仏のはたらき)に、文句なく頭が下がるのである。また発願回向(ほつがんえこう)というのは、頭が下がっ…
明応二年の元旦に、ご挨拶にやってきた勧修寺の道徳に対して、蓮如さまは、「道徳よ、そなたは、もう数えることも忘れているかもしれないが、いったい、歳は幾つになったのか。人生を空しく過ごしてはならない。道徳よ、本当の念仏を称えなさい。常識的にみ…
まだ寒中であるにもかかわらず、木々の芽が大分ふくらんできたようである。この芽のうちに、大自然の働きの一切が集中せられてあることが思われる。 大空を仰いで見ると、太陽はいつものように輝いている。大地はいつものようにしめっている。ほがらかな日で…
馴染みの有名人が、毎日のように次から次へと亡くなっています。私も歳をとったものだと最近よく思います。当たり前といえば当たり前ですが、時代は着実に移り変わっています。こんな表現が適切かどうか分かりませんが、「時代の新陳代謝」がこの今もなされ…
北日本新聞 令和5年10月18日(水)付より 先月、北日本新聞に投書(念仏者の志功に感銘)したのをきっかけに、デジタル版を購読しています。さすが、真宗王国の富山です。浄土真宗関連の記事が多く、楽しんでいます。 現在、富山に所縁(ゆかり)のある…
北日本新聞(声の交差点) 令和5年9月19日(火)付 北日本新聞(地方紙:富山県)の「声の交差点」に投稿しました。4年前、「棟方とつながる」というタイトルで投稿した(下記リンク)経緯があり、今回は、そのアンサー(回答)という思いもあります。 …
阿弥陀如来の、はてしの無い、大慈悲(絶対愛)のお呼び声、南無阿弥陀仏に、出会うことが出来、釈迦と弥陀の二尊の、おんこころのままに、いただくことができ、貪欲(とんよく)の波や瞋恚(しんに)の炎が、どんなに強くても、「おはずかしい」とは思って…
【東奥日報(地元紙) にちよう文化(1) 令和5年8月6日(日)付より】 寛静さんは、疎開中の棟方について「浄土真宗に出会って、作品を生み出す行為は、阿弥陀さまが棟方さんの体を通して表現しているという境地に至った。人々の生活そのものに『他力』…
考えてみれば、人間は皆死ぬわけです。生と死のことについて多くの著書のあるドイツ人のデーケン先生という方がおられます。デーケン先生はこういう講演の時にいつも言われます。「皆さん、厚生労働省の統計によれば最近の日本人の死亡率は100%です」と。…
東奥日報(地元紙)2023年7月20日(木)付 東奥日報(地元紙)に投稿しました。福光町(現・富山県南砺市)で過ごした棟方志功の足跡をたどりたい、と思っているこの頃です。 下記(青字)は、念仏者(南無阿弥陀のはたらきに気付かされている)と推察される…
ニュートンが見た時に初めてリンゴが落ちたのかというそんなことはないですね。誰も見ていなくてもずっと昔から落ちていたわけです。そういう意味でニュートンは引力の法則を発見したという言い方をします。別に発明したわけでなく、法則自体な昔からあった…
開カレツルニ 叩クトハ 柳宗悦 柳宗悦(やなぎむねよし)が晩年に書いた『心偈(こころうた)』のひとつである。「偈(げ)」とは宗教的な歌、いわばゴスペルソングとでも言えようか。原始仏教ではブッダの教えも、リズムをもった詩のかたちで伝えられた。 …
聖道門を捨てて浄土門に帰すという親鸞の宗教体験は、言葉を換えていうと、親鸞は、初めはこの世界で悟りを開こうとしていたわけです。釈尊以降この世界で仏に成ったものは一人もいないとはいえ、やはり比叡山の天台宗の教えでは、基本的にこの世界で仏に成…
阿弥陀さまは、南無阿弥陀仏という言葉になって私に届き、救いを告げています。ですので、私は、その言葉(南無阿弥陀仏)を聞いて、その言葉(南無阿弥陀仏)に触れると、阿弥陀さまに出遇えます。そのことをしっかりと味わってください。これは、御開山(…
阿弥陀如来の本願が、信心となってわたしの上に届いているということは、如来の智慧と慈悲が私を内側から導いてくださることを意味していました。信心の行者は、まずこうした尊い徳を頂戴しているものでした。しかし、その徳にふさわしい生き方をするどころ…
私たちが迷うのは、本当の言葉を受け入れられないからです。どこかに本当の言葉があると思って、うその言葉に出会っているのが迷いです。本当の言葉は南無阿弥陀仏であり、私が口に称する南無阿弥陀仏は、私の口から出ているけれども、如来さまが私を喚んで…
人間がお手をしてると思う犬 武蔵野 竹とんぼ いつも、仲畑流万流川柳(毎日新聞)を楽しみにチェックしています。本日(4/21)の秀逸作品です。視点が、人間ではなく、犬というところがポイントで、おもしろいところです。どの視点に立つかで、意味合いがま…
意外なほど青年や壮年が入信する、いわゆる新宗教でも、仏教の言葉をはっきりと使っています。実際にオウム真理教などはチベット密教とかキリスト教といったもののいろいろな言葉を交えて、自家薬籠中に仏教の言葉を使います。例えば、「解脱」とか「出家」…
「心の豊かさ」の部分を「南無阿弥陀仏」と置き換えていただければ、この手品師ブログのコンセプトに沿った内容になるかと思います。 おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏 読売新聞(青森版)ひろば 令和5年3月31日(金)付より
今回、車いすテニス男子の第一人者である国枝慎吾さんの国民栄誉賞授与が決まりました。パラスポーツ界初の快挙です。多くの人に夢や希望を与えることでしょう。人から人への授与ですが、とてもインパクトがあります。 阿弥陀さまから信心をたまわる(南無阿…
当たり前といえば当たり前ですが、人は死にます。毎日のように、有名人の訃報が報道されます。他人の人生を、どうこう言うのは忍びないですが、はたして(彼ら彼女らは)満足して死んでいけたのかなー、と思ったり。 南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされた人…
毎朝、新聞に目を通すことから、私の1日が始まります。まずチェックするのは、お悔やみ欄です。同世代の名前が載ることも珍しくなくなりました。それだけ私も歳をとったということです。 最近は、「自分の死」を意識せざるを得えない出来事も増えました。人…
「他力本願」原義で使おう(投書)、が地元紙(東奥日報:青森県)に、掲載されました。 【東奥日報 令和5年2月6日(月)付】 「他力本願(たりきほんがん)」の本来の意味は、 「衆生を救おうとする阿弥陀仏の本願にすがって極楽往生すること」(明鏡国…
前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え 「前に生まれた者は後に生きる人を導き、後の世に生きる人は先人の生きた道を問いたずねよ」というこの呼びかけは、中国の道綽(どうしゃく)(562~645)が著した『安楽集』の言葉です。 【大谷大学 教…
他力本願 「心配しなくていいですよ、必ず救いますよ!」 本当に有難いお言葉です。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
【本 文】 慈光(じこう)はるかにかぶらしめ ひかりのいたるところには 法喜(ほうき)をうとぞのべたまふ 大安慰(だいあんに)を帰命(きみょう)せよ (『註釈版聖典』558頁) 【現代語訳】 阿弥陀如来のお慈悲の光明は、われわれとははるかに隔たった境…
【現代語訳】 勧修寺の道徳が、明応二年(1493)正月1日に、蓮如上人のところに年頭の挨拶に来られたとき、蓮如上人は仰せになりました。「道徳は何歳(いくつ)になられたか。道徳よ、念仏申されよ。その念仏に自力と他力があって、自力の念仏というのは、…