手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2018-05-01から1ヶ月間の記事一覧

念仏

弥陀によって誓われた本願ということがあります。そしてその本願の対機として、無量の衆生が存在するのであります。この本願と衆生の関係を結ぶ唯一の糸は念仏であります。川を渡って向こう岸にゆこうとするには橋を渡らなければならぬ、その橋が念仏であり…

法然や親鸞の「信心」観

信心とは如来から与えられるものであって、自分の力で手に入れるものではなかったからです。わたしたち人間は如来から信心を賜ることによって救われるというのが、法然や親鸞の基本的な「信心」観でした。わたしたちは、浄土門の門徒であるかぎり、この「信…

阿弥陀さま視点

善悪のふたつ、 総じてもつて 存知せざるなり (私は善と悪、二つの事柄について何も知らないのだ) 『歎異鈔』後序 (注釈) 親鸞ほどの人間がものの善悪がわからない、というのだろうか。しかしここでいう善悪というのは一般的な善悪のことではない。仏の…

現代の私たちのプライド

現代人が 「宿業 」という言葉を拒否するようになった理由も分かる 。つまり 、現代人においては 、自己に対する 「自信 」が肥大化しているのだ 。自らの行動は 、自らの意志で自由にできるという、まさしく 「思い込み 」が広がっていて 、自分の行為に 、…

目覚め

縁が熟して、阿弥陀仏の本願という「物語」に納得できるようになると、「宿業」に縛られたまま、私は「完全な存在(「仏 )」に向かって歩み始める 。つまり、「宿業」という束縛から、自由になるのだ 。その自由とは、束縛がなくなるという意味ではない 。…