手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

ことばのはたらき

 人間は極めて自尊心が強いから、やはり少々のお世辞がまじっていても、ほめられるとうれしいものなのであろう。また、自ら十分に認めている欠点であっても、第三者からそのことを指摘されると、相手への反感が生じることは間々あることである。

 したがって釈尊は、『スッタニパータ』の四五一に、

 自分を苦しめず、また他人を害さないことばのみを語れ

 (『ブッダのことば』九二頁)

と説いている。ことばは、ひとたび不用意に自分の口から出してしまうと、他人を害するばかりではなく、自分をも苦しめるということを、われわれは日常生活のなかでしばしば経験しているところである。

 さらに釈尊は、その四五二に、

 好ましいことばのみを語れ。そのことばは人々に歓び迎えられることばである。

(『同』九二頁)

と述べている。三千年前の釈尊の時代から現代に至るまで、人間は、ことばを使うと同時に、ことばにつかわれる存在であることを思えば、他人の評判を全く苦にしないで生きるということは、凡夫にとっては、至難のことと言わねばならないであろう。

【孤独が癒されるとき 藤澤量正 本願寺出版社 P40,P41より】 

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言葉には、その人の思いや考えが反映されます。政治家が失言をして撤回するケースをよく報道でみますが、撤回したところで、その政治家本来の思想や考えは見透かされてしまいます。言葉は、そういった目に見えない心の内を具現化されたものともいえます。

「南無阿弥陀仏」も然り。その6文字には、阿弥陀さまのいのちが込められています。そのことを分からせてもらえることは誠に有難いことです。

おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

 

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