手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

無碍の一道

  「無碍の一道」とは、まさに「転悪成善の益」と同じ内容であるといってもよいでしょう。昔の歌に、

  生花(いけばな)のこの世の水につけられて、花は咲けどもみのらざりけり

と詠まれたものがあります。同じ梅の花でも根を切られた生花と地に植わった花とでは見た目にその区別はわかりません。しかし、時が経つとともに一方は実を結ぶ花、他方は実を結ばない花という違いがはっきり現れてきます、生きている間は罪障の煩悩(花)は滅することはありませんが、その煩悩に惑わされるか惑わされないか、往生の障りとなるかならないか(実を結ぶか結ばないか)で大きな違いが生じます。信心が具わって念仏が称えられる身になった人も、この世においては煩悩は依然として消滅することはありませんが、煩悩には惑わされない、しっかりとした人生が与えられることを讃えられたのが「無礙の一道」や「転悪成善の益」といわれる利益です。

【妙好人のことば -信心とその利益- 白川晴顕 本願寺出版 P39,P40より】

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ここでいわれていることをまとめますと、

「南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされるか否か」ということです。ここはとても大事なところですので留意したいところであります。南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされますと、心底に末通った安心感があります。また、日常生活において、煩悩を客観的に捉える機会が多くなるのではないでしょうか。

おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

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