手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2020-01-01から1年間の記事一覧

お手本でなく見本

清沢満之(きよさわまんし)の弟子で、加賀の念仏者として有名な高光大 船(たかみつだいせん)さんは、 「人の手本になることはできないが、見本くらいにはなれるだろう」と言ったそうです。 父も母も、たしかに、仰ぎ見てあこがれるような手本ではありま…

反出生主義

南無阿弥陀仏の視点からしますと、「私は生まれてこないほうが良かった」という反出生主義的な考え方はありえません。人間に生まれてこなければ、仏教は聞けませんし、南無阿弥陀仏のはたらきに気づかせられることはないから、です。私において、反出生主義…

まかせる

「仏(阿弥陀)さま のほうが 心配するな 私がシッカリしているから 俺に まかせとけと おっしゃってるんですよ だから『ありがとうございます』と いいなはれ いえなんだら それでもええわ それで ええ まかせといたら ええんだ それが 『まかせる』 とい…

すべてが当たり前でなくありがたい

思えば、いままで「当たり前」だと思って過ごしていた日常は、貴重な、「有り難い」毎日だったのではないでしょうか。また、自粛生活を経験してみて、これまで私たちがほんの少し出歩くだけで、いかに多くの人と接触し、つながりを持って暮らしていたかをお…

浄土真宗の信心(誤解がないように)

親鸞聖人は供養のために念仏したことはない、と仰っています。浄土真宗において「南無阿弥陀仏」の念仏は、私が称えるものでありますが、阿弥陀さまのはたらきが私を通して現れてくださったものだと受け止めます。 阿弥陀さまのはたらきであるお念仏を、私た…

時間の二通りの数え方

石原吉郎は『海を流れる河』(花神社)のなかで、時間のふたとおりの数え方があると述べている。 ひとつは、一から始まってこれに、無限に一単位(年でも秒でもいいが)ずつ加えて行くやり方で、私たちはそのようにして、小刻みに未来を生きている。 もうひ…

死について考える

結局のところ、「死」こそが、人間にとっての最大の謎であり、したがって、また魅惑なのだ。少なくとも私は、そうである。言葉と論理、すなわちすべての思考と感覚が、そこへと収斂(しゅうれん)し断絶し、再びそこから発出してくる力の契機としての「死」…

生きていることの不思議

そもそも私たちは、自分の決断で生まれたわけではなく、自分の決断で死ぬのでもない、生まれて死ぬという、人生のこの根本的な事態において、私たちの意志は全然関与していない。気がついたら、どういうわけだか、こういう事態にさらされていたわけです。 こ…

今まさに聞いている

虫の夜の 星空に浮く 地球かな 大峯 あきら この感じですね。秋は空気も澄んでくるから、ちょっと山の中に行けば、満天の星が眺められます。虫たちの大合唱を聴きながら、頭上の星々を見上げれば、当然この感じになっていくはずです。 この句が面白いのは、…

コップの水

人生をコップの水の量で喩えることがあります。コップ半分の水を、まだ半分もある、と捉えるか、もう半分しかない、と捉えるか、捉え方一つで、その意味合いは全く違ってきます。生死問題を考えるのであれば、後者(水は、もう半分しかない)になるでしょう…

お念仏

自分の意思で発しているように思っているお念仏(南無阿弥陀仏)。本当は、阿弥陀さまがわたしと一緒になって称えさせてくださるのでした。そのお念仏は、言葉となって、そして音声となって、わたしの耳に入ります。その繰り返しです。まさに、お念仏は私の…

言ってみたいフレーズ!

この世へ生まれてきた、これを誕生という お浄土へ生まれていく、これを往生という 私の中には死は存在しません 【お念仏とは 梯 實圓 師 御法話より】 「私の中には死は存在しません」 このように言い切れる人は、生死を超えた世界を生きている人です。つま…

人生100年時代?!

「人生100年」という言葉を聞いて、あなたは何を思いますか?頭に浮かぶ老後のイメージは人それぞれですが、多くの人は自分の寿命が長くなる気がして、ちょっと元気になるでしょう。 しかし100歳とはあくまでも平均寿命のことです。おまけに2050年…

念仏者 棟方志功

福光町の生活になって、この辺りの町村には立派な真宗の寺が立ち並び、人々は熱心な真宗徒でした。そうした環境の中で板を彫り、他力本願の宗律の中の本妙というものを、身にも心にも受けました。(「私の履歴書」『わだばゴッホになる』 九四~九五) 金色…

今が、目的の中

お念仏は目的であるという事ですよ。私どもの、ただ今が、目的の中にいるという事であります。我々の御法義は何かのためではなくて、今が目的の中なんだということであります。だから、わけが分からんようになる。お互いに青年時代にね、人生の目的は何かな…

阿弥陀さま視点で

私共の御法義は仏様の話であります。裏から言えば人間の話ではありません。だけども私共は人間同志の交際をし、自分も人間であるから、人間の話にしたくなってしまう。そして、人間の考えで解釈をしようとする。それではいけませんな。仏様の話だから、私共…

念仏の実践

念仏の実践というのは、阿弥陀様が私を救うと私に呼び掛けて下さるから、阿弥陀様の真正面に立って、阿弥陀様の仰せをうけたまわって行くということであります。そうするとね、阿弥陀様の話になってくるわけです。 【如来をきく 稲城選恵 深川倫雄 響流書房…

馬が念仏聞くような聞き方

お聴聞するお説教は、仏様のお話です。だからお説教を聞いてもよう解らんのです。なぜかというと、人間の話で出来ておる頭で仏様の話を聞くんだから、解らんのですね。馬が念仏を聞く様なもんですね。馬が念仏聞く様な聞き方が一番良い聞き方です。ところが…

南無阿弥陀仏は躍動している

受ける言葉は形容詞か動詞であって、名詞であってはならない。 【むすび・言葉について30章 中村 稔 青土社 P5より】 「南無阿弥陀仏」視点からみますと、南無阿弥陀仏は単なる単語(名詞)ではありません。南無阿弥陀仏には、はたらきがあります。 梯 實圓…

「南無阿弥陀仏」という言葉

最近、時事川柳を始めました。5・7・5の17文字の中に、最近話題の出来事をおさめる作業がおもしろいです。その内容(込められた意味)は、原稿用紙1枚程度で説明できます(笑)。 「南無阿弥陀仏」の6文字には、阿弥陀さまの五劫の思惟と兆載永劫とい…

逆対応

よう聞いたら助かるいうたら、助かる事を予想して聞いとるんですからね、聞いたら仏さんがやってくる事になるね。それで、信じたら助かる、祈ったら助かる、皆こう両方が向い合せになっとる。こういう関係を対応的というんです。こういうのは、仏法ではない…

与えられる立場に感謝

「施せる立場であることに感謝しなさい」と、よくいわれます。辞書によりますと、『施す』とは、「恵まれない人に物質的な援助を与える。あわれみの気持ちで、人が困っている状態を助けるような行為をする」とあります。 南無阿弥陀仏も同じです。(私が)南…

まずは縁ある衆生

(歎異抄)第五条には、「まづ有縁(うえん)を度(ど)すべきなり」とも述べられています。これは、浄土に往生して悟りを開いたなら、まず縁のある家族や縁者や仲間から救っていけばよいという意味です。仏になるので最終的にはすべての人を救うのですが、…

海へ   🌺金子みすゞ(8)

祖父(じい)さも海へ、 父(とと)さも海へ、 兄(あに)さも梅へ、 みんなみんな海へ。 海のむかうは よいところだよ、 みんな行ったきり 帰りやしない。 おいらも早く 大人になって、 やっぱり海へ ゆくんだよ。 【金子みすゞ大全集–生誕100年記念–(朗読…

お念仏(南無阿弥陀仏)

金の塊をね、子供にやるんです。あんまり喜ばんね。そこで、金の塊を獅子のおもちゃにするんです。おもちゃじゃったら、二つや三つの子供にも通じましょう。ところが、獅子のおもちゃに加工しても金ですからね。ですから、子供は獅子のおもちゃを受け取るま…

本物の宗教

アインシュタインはね、英語で『コスミック・レリジョン』(CosmicReligion)という本を書いてます。その中で、宗教を「恐怖の宗教」「道徳の宗教」「宇宙の宗教」と三つに分けてます。この分け方もいいんですよ。これ(偽物の宗教)が「恐怖の宗教」と、(…

現場の重要性

国際報道に限りませんが、現場に記者が行っているかどうかは、情報の厚みという意味では決定的な違いを生みます。テレビの現場中継を見ていると、現場を見ているのと同じだという感覚に陥りがちですが、それはカメラで切り取られた「二次情報」に過ぎません…

身近すぎてわからない

「眼鏡をかけているのに、その眼鏡を探しているひと」をみて、果たして笑えるでしょうか。 南無阿弥陀仏のはたらきの中で生きている万人の姿にみえてきました。

人生って

ときには、この世は平和で希望に満ちて明るいのだと感じる。人間は信頼すべきものだと思ったりする。生きていることはいいなと感謝さえする。そしてしばらくするとまったく逆の感じでがっかりする。しょせん人間なんて、とか、人生ってなんてひどいもんだろ…

木   🌺金子みすゞ(7)

お花がちって実がうれて、 その実が落ちて葉が落ちて、 それから芽が出て花がさく。 そうして何べんまわったら、 この木はご用がすむかしら。 【金子みすゞ大全集–生誕100年記念–(朗読CD)第二巻より】 遅かれ早かれ、南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされ…