福光町の生活になって、この辺りの町村には立派な真宗の寺が立ち並び、人々は熱心な真宗徒でした。そうした環境の中で板を彫り、他力本願の宗律の中の本妙というものを、身にも心にも受けました。(「私の履歴書」『わだばゴッホになる』 九四~九五)
金色燦然とかがやく大仏壇があり、朝、夕、仏飯をそなえ、『正信偈』をとなえておまいりします。どの家も念仏の家であり、人々はみな熱心な真宗教徒でした。(『板極道』 九二)
真宗門徒の生活に囲まれて制作することによって、他力本願の教えの本質が身にも心にもしみこんでくる。これこそ芸術的聞法である。棟方は富山の土徳にふれてその画境を世界的なものに昇華させたのだといえる。
【妙好人 棟方志功 太田浩史 響流書房より】
戦時中、棟方志功一家は、戦禍を避けるべく富山県福光(現在の富山県砺波市)に疎開しました。棟方にとって、この福光における6年8ヶ月の念仏に囲まれた生活は、彼の人生において忘れることができない期間となったことでしょう。「南無阿弥陀仏」に出遇う大きな縁となったのですから。
下記にリンク(棟方志功 関連の投稿)を貼っておきます。