手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

すべてが当たり前でなくありがたい

 

  思えば、いままで「当たり前」だと思って過ごしていた日常は、貴重な、「有り難い」毎日だったのではないでしょうか。また、自粛生活を経験してみて、これまで私たちがほんの少し出歩くだけで、いかに多くの人と接触し、つながりを持って暮らしていたかをお知りになったと思います。

  そういう気づきこそが仏教的な視点からでてくるものです。朝起きて仕事に出かけていく。いろいろな人と交流する。休日には自由に外出できる。桜が咲けばお花見に行き、ゴールデンウィークやお盆休みを利用して故郷に帰省できる。自粛生活中にできなかったこれらのことは、本来すべてが当たり前でなく、「有り難い」ことだったのです。外出すれば路傍の花が、いまのあなたは美しく見えるでしょう。

  このように、これまで当たり前と思い、なおざりとしてきたこと一つひとつを見直していく価値観の転換が、いまこそ求められます。

【令和版 仏の教え  大谷光淳 幻冬舎 P17より】

 

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  新型コロナ禍の影響で、いままで当たり前のよう出来ていたことが、できなくなっている現状をみますと、本来すべてが当たり前でなく、「有り難い」ことだった、ことに気づかされます。

   阿弥陀さまの「南無阿弥陀仏のはたらき」においてはいかがでしょうか。南無阿弥陀仏のはたらきは、いま・ここで・わたしにはたらいています。(いま・ここで・わたしが、)そのはたらきに気づかされることは、とても有り難いことなのでした。

 おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

 

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