石原吉郎は『海を流れる河』(花神社)のなかで、時間のふたとおりの数え方があると述べている。
ひとつは、一から始まってこれに、無限に一単位(年でも秒でもいいが)ずつ加えて行くやり方で、私たちはそのようにして、小刻みに未来を生きている。
もうひとつは、たとえばロケットの打ち上げの時の秒読みのように、あらかじめ未来へ区切った時点へ向けて、一単位ずつ時間を消して行くやり方である。残り時間がゼロになったときそれが起る。未来が終わるのである。
【生きながらえる術(すべ) 鷲田清一 講談社 P242、P243より】
いま、ここで、わたしに、はたらいている南無阿弥陀仏という視点から考えますと、後者(あらかじめ未来へ区切った時点へ向けて、一単位ずつ時間を消して行くやり方)のような人生の捉え方(数え方)は、どうなのでしょう(ゴールを設定する人生)? わたしは、前者(一から始まってこれに、無限に一単位ずつ加えて行くやり方)派です(笑)。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏