手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2014-01-01から1年間の記事一覧

歓喜と慶喜

親鸞聖人は、「歓喜」と「慶喜」を使い分けておられる 歓喜は、先立ってよろこぶ 慶喜は、いまよろこぶ そこに注目して、お聖教を読むことが大事である

南無阿弥陀仏という言葉

火という文字があるが、火という文字に触っても熱くない。火のはたらきはしない。 氷という文字もしかり。氷という文字に触っても冷たくない。 しかし、『南無阿弥陀仏』は違う。 ただの文字ではない。 はたらきがある。

ナンバープレート

先日の築地本願寺でのこと 駐車している車の車番が7676 南無阿弥陀仏は至るところに届いています

灯火

梯 和上が「バケモノだ!」と称賛された親鸞聖人。 親鸞聖人が、いかほどの方か想像を絶します。 「そういわれた梯 和上もバケモノだ!」と、相馬 師は称賛されていました。 梯 和上の功績ははかりしれません。 昭和・平成の真宗史に、名前を残すことは間違…

浄土真宗の信心

阿弥陀仏の慈悲が分かるためには、善行を積み重ねるということではなく、阿弥陀仏の誓いを信じて念仏するということに尽きる。だが、いくら念仏をしても、ただちに阿弥陀仏の慈悲が身に満ちるとは限らない。念仏を呪文のように唱えるだけでは、阿弥陀仏の慈…

田植え

しんらんさまの田植歌 http://www.geocities.jp/chubutsu_tokyo/image/taueuta.mp3 ※音声圧縮ファイル(.mp3) 【中央仏教学院 通信教育生の会(東京地区)ホームページより】 本日、田植えの手伝いをしました。 この時代は、田植機のおかげで田植えも捗りま…

エビデンスは南無阿弥陀仏

【原文】 同仰られ候。凡夫往生、ただたのむ一念にて仏にならぬ事あらば、いかなる御誓言をも仰らるべき。証拠は南无阿弥陀仏なり、十方の諸仏、証人にて候。 【蓮如上人御一代聞書 八五】 【現代語】 実如上人は、「凡夫の往生は、ただ阿弥陀如来におまかせ…

親鸞聖人の功績 (浄土真宗の教え)

お釈迦さまは、聞く人の性格や能力に合わせて教えを説かれたので、さまざまな教えが伝わることになりました。そして、インド・中国・日本と仏教が伝わってくる中で、さまざまな宗派が生まれました。日本でも、仏教の中に多くの宗派が生まれましたが、親鸞聖…

聞法

法話のテープを聞くことも、仏書を読むことも、み法の話合いをすることもすべて聞法です。このように聞法は、場所や時間を限らず、いつでもどこでも誰とでも可能なのです。 法座では、「仏教や真宗についてどんなことをどのように尋ねたらよいのかわかりませ…

浄土真宗における行

浄土真宗における行とはどのようなものでしょう。浄土真宗について、少し知っておられる方ですと、どこかで「浄土真宗には行がない」、「修行しなくてもいい」といったことを聞かれた方もおられるかもしれません。これは、一面では正しいですが、正確ではあ…

そのようになっている

そのようになっているのであれば、そのように受け入れるしかありません。 このことは、日常生活においてもいえることだと思います。 「じゃあ、あなたは、受け入れるだけで積極性がないじゃないか!」と突っ込まれそうですが(笑)・・・・・・ とりわけ、真…

未来永劫の親切 (あなたの後生はいかがですか?)

下野(しもずけ)の国に、上田郷左衛門という侍があった。この人は夫婦ともに真宗の信仰家であって、他力廻向のご信心を頂いて、明け暮れ、念仏を喜んでおられた人である。 ところが、その隣に禅宗のお寺があって、このお寺の和尚様と至極懇意にして、兄弟の…

陽気に誘われて

本日は、雲一つない青空の春日和でした。 そんな陽気に誘われて、つい外の空気を吸いに出た人も多いことでしょう。 妙好人おそのさんは、団子汁の談合で以下のように話されたといわれています。 「夕方になりますと、女中がお汁を拵(こしら)えて、それへ団…

お念仏は理屈をつけすぎず

弘誓のちからをかぶらずは いづれのときにか娑婆をいでん 仏恩ふかくおもひつつ つねに弥陀を念ずべし (高僧和讃 八六)弥陀如来が救うと誓ってくださったということを知らなければ、いったいどうして輪廻から自由になれるだろうか。輪廻から救ってくださる…

浄土真宗の利益について

浄土真宗における利益の特色は、信の一念で、今生において正定聚の位、つまり、このいま仏になることが正しく定まる、という仏果を賜ることができることです。 親鸞聖人は、「真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことな…

生かされて生きている

日々、自分の力で生きているように思いますが、 よくよく考えてみますと、あらゆる恩恵にあずかって生きています。 太陽、大地、空気、生物、乗物、親切、友達、電気などなど、挙げればキリがありません。 そうです!生かされて生きているのです。 だから、…

いのちは尊い

解脱の光輪きはもなし 光触かぶるものはみな 有無をはなるとのべたまふ 平等覚に帰命せよ (浄土和讃 五) 私は様々な思いによって、自分自身をがんじがらめに縛っている。阿弥陀如来はそんな私の我執の縄を切り、いのちは等しく尊いという広々した世界に解…

夢の国

娘の高校合格祝いと称して、東京ディズニーランド&シーに行ってきました。今回の目的は、ディズニーシーの「トイ・ストーリ−・マニア」を制することでした。前回来園時は、開園時間30分後に入園するもファストパス(優先入場口)の発券はすでに終了しており…

最初の説法 (お釈迦さま)

お釈迦さまの最初の説法の内容は、「四諦八正道(したいはっしょうどう)」の教えだといわれています。「四諦」とは、「四つの真理」という意味で、具体的には「苦諦(くたい)」「集諦(じったい)」「滅諦(めったい)」「道諦(どうたい)」の四つの真理…

お釈迦さま

今から約二千五百年前、インドの北方(現在のネパール)に、釈迦族と呼ばれる種族が、カピラ城を中心に小さな国をつくっていました。国王はスッドーダナ(浄飯)王、妃はマーヤー(摩耶)夫人(ぶにん)といいました。 マーヤー夫人は出産のために、自分の生…

信心肝要

浄土真宗は煩悩は捨てなくてもいいんですけれど、はからいは捨てねばなりません。如来さまのお救いに対する疑い心をすっかり捨てることです。 そういうわけで、大きな如来さまのいのちの海に浮いている私たちの人生でございます。お浄土に生まれた人は必ず現…

解決されてある法を聞く

私たちが知らないそういう私たちの心の内を、如来さまはとっくの昔から知っていらっ、しゃって、そうして私たちが気がつく前に私たちの根本にある一番大きな不安を私たちの生れて来る前にちゃんと解決して下さっていたのです。このことの不思議をわからせて…

仏さまの教え

「仏様の教え」というのは、人間の知識や経験で生まれてきたものじゃなくて、お悟りを開かれたお方が、真実を見抜かれた智慧によって教えてくださっている教えなんです。 自分の都合でしか見ることの出来ない私に、自分の都合を捨てなさい。と言われても到底…

自分の都合

私たちというのは、いつでも゛自分の都合〟でしか物をみることができないし、自分からしか始まらないのです。私たちは全てを自分の都合という物差しで、善し悪しを決めている、ということを表しているんです。 例えば「今日は、いいお天気ですね」という挨拶…

お念仏と共にある人生

私たちの周りには楽しいことがたくさんあります。何時終わるかわからないいのちならば、できるだけ楽しく暮らしたいということもよく理解できます。 でも、どれだけ楽しんでも、いや楽しければ楽しいほど、その楽しい人生の行き先が「死んだらおしまい」とい…

浄土にまた一歩

お浄土は 日に日に近くなりにけり 嬉しさも増す 誕生日かな (蓮如上人の歌に似せて) 母より サンクス!

昔から絶えることなく (童謡:春の小川より)

小川の水が、スミレやレンゲなど、岸に咲く花の一つひとつに、「やさしく、色うつくしく咲いているね」と、ささやきかけている情景です。 ただサラサラと流れ続けている小川の水が、エビやメダカや小鮒の群に、「今日も一日ひなたで泳ぎ 遊べ遊べ・・・・・…

無常のいのち (童謡:しゃぼん玉より)

画像は http://road-weed.de-blog.jp/m_days/2009/07/post_298c.html シャボン玉より 自分のいのちが無常であるということを知るなら、一瞬一瞬のいのちがいかに大切であるか、今なすべきことは何であるか、ということを真剣に考えるようになるのです。仏法…

川にそって岸がある

【タイトル】セーヌ川の川岸(1887年) 【画家】フィンセント・ファン・ゴッホ 淀川が大阪を流れていて淀川の岸が東京にあるなんて、そんなバカなことはありません。川に沿って岸があるのです。川と岸は離れていないのです。同じように、私に沿って阿弥陀如…

もったいないお化け